喟然長大息せざるを得ず。
かつて聞く英国陸軍大佐マークベル氏、北京を発して西北漠外に出で、親しくカシガル付近山河の形勝を視察し、嘆じていわく、『天山南北路が支那に属するは迷いなり。順当ならざるなり。支那の戍兵一変ことごとく欧洲式の訓練に熟し、かつ鉄道を陝西以西に連絡せしめたる暁にあらざれば、露国に対抗してその侵入を防止するは絶望なりと』試みに地形上より観察すれば、新疆は清国に属するよりは、むしろ露国領、トルキスタン地方に付随するの至当なるは、何人といえども異議をはさむの余地なかるべきのみならず、その人種より論ずるも、言語、宗教よりみるも、また風俗、習慣より察するも、トルキスタン地方に酷似するを認む。加うるに交通の関係上、およびトルキスタン地方との商業的経済上の関係は、近時ますます、接近の度を増進しきたり、地方の住民は、次第に露人と親しみ、かえって清国に対して反抗せんとするの傾向あるより推論しきたれば、新疆が遠からずして露国の膝下に拝跪するにいたるの日あるべきは、燎々(りょうりょう)火を観るよりも明なり、いわんや露国が鋭意その心血を傾注して、その勢力扶植の策を講じつつあるにおいてをや。おしいかな清国いまだ悟らず、晏然(あんぜん)長夜の昏睡中にあること。
さらに転じて西南の境土を望めば、崑崙山脈を隔てて英領印度あり。英国がインドを根拠として、つねに露国の中央アジア経綸に対抗し来れるは、一朝一夕の事にあらず。由来パミール高原は、禍機の伏在するの地、しかも新疆と相接壌するが故に、露国が指を新疆に染めんと欲すれば、英国あに黙してやむべけんや。形勢の変化は、もと意外のあたりより急転し来ることあり。現今いまだ危機の切迫せるものあるを見ずといえども、パミール問題忽然としておこらば、新疆もまたその渦中に投入せらるるなきを保すべからず。清国人たる者よろしくいまだ雨ふらざるに※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69]戸(ゆうこ)を綢繆(ちゅうびゅう)するを要するとともに、わが国経世の士、また多大の注意を払わずして可ならんや。
由来南北支那に対して、講究研鑚(けんさん)するの士すくなからざるも、新疆について言及するの人ははなはだまれなるに似たり。これ吾人の切に遺憾とする所にして、識者の一考を煩わさざるを得ず。それ新疆の地たる、わが国と相へだたること数千里の遠きに僻在し、
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