の近海に横行し、後、長江に闖入(ちんにゅう)せりといえども、その求めんと欲する所は、通商口岸の一事に過ぎず、何ぞあえて土地を利せんとするにあらんや。ひとり露国はわずかに天山の北幹を隔てて、前にジェンガルおよび回部と雑居せるカザク、ブルト、コーカンド等の部落を見て、もってすでにその有とす』云々。露国の隠謀を道破してあまりありというべし。李鴻章の如きは、露国の仮装的強硬の態度に辟易し、むしろ新疆を放棄して後難を除くの得策たるにしかざるの意見を有せしも左宗棠の烱眼(けいがん)なる、夙に露国の野心を測り知るべからざるを看破し、断然李鴻章等の意見に反対し、『新疆一たび露国の手に帰せんか、甘粛、陝西、山西等の辺防ますます緊要を告げ、直隷また枕を高うするを得べからず。一を守るの勇なきもの、いずくんぞ両三を守るを得んや』と極論して、廟議ついに条約を破棄し、開戦に決せしめたり。露国をしてリワヂヤ条約を修正し、ついにイリ一帯の占領地を清国に還付せしめたるは、当時トルコとの紛擾ありて、多少露国の鋒鋩(ほうぼう)を鈍らしめたるによるといえども、そもそもまた左宗棠の※[#「言+黨」、第4水準2−88−84]言大に力ありしにあらざらんや。
しかれども露国の執拗なる、一頓挫のために宿志を放棄するものにあらず、鋭意イリに対する施設経営の歩武を進め、露国の勢力がイリ一帯の地に瀰漫(びまん)しつつあるは、ひとたびイリの地を踏む者の一驚を喫する所なり。たまたま日露戦役において、敗衂(はいじく)の辱をこうむりし結果、多大の障碍を受けて、陽にその鋒鋩を収め、一時慎重の態度を装うといえども陰にその爪牙を磨き、孜々として勢力扶植の道を講じ今や漸次再びその萠芽を発せんとするもの少からざるを覚ゆ。
なかんずく吾人のもっとも視聴を驚かせしはタシケント地方よりトムスク市に達する鉄道(アルタイ線)布設の計画、いよいよ実行せられんとするの一事なりとす。その鉄道の敷設がイリに如何の関係をおよぼすべきやは、吾人の呶々(どど)するを待たず、露国の有名なる政治家ミハイル、セリホフ氏がその鉄道に関する説明にてこれをつくせり。氏はまずその鉄道の敷設をもって、露領中央アジアにおける殖産興業を啓発し、民衆の移殖を増進するのみならず、また軍事上極めて重要なりとするゆえんを説き、さらに一歩を進めていわく。
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