新疆所感
日野強

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 予が嘉峪関をこえて新疆を横断し、カラコルム山脈を超越しおわりしまでに費したる日数、約三百日、その間親しく天山山脈に沿う高原を視察し、タリム河に瀕する平野を踏査して、耳聞目睹したる結果は、五十八万方マイルの大宝庫、古来蛮雲のとざす所となりて、空しく草莱(そうらい)に委し、二百万の生霊、なお瘴烟(しょうえん)の裡に包まれて、いたずらに混沌として睡眠するの憐むべき情態にあると同時に、新疆の運命すこぶる悲観すべきものあるに想到し、うたた感慨に堪えざるなり。請う少しくその理由を説かん。
 おもうに新疆の命脈は、一にイリによりて繋がれ、イリは実に新疆の胴腹にさしたる一楔木にしてその死活を左右す、この楔木一たび他国の握る所となり、もって深く新疆の臓腑をえぐらば、新疆あに全きをえんや。清廷が特に将軍をイリに駐紮せしめて、辺防に任ぜしむるゆえんのものは、もとより偶然にあらず。しかるに露国は野心を中央アジアに逞うせんと欲するここに年あり、いやしくも機会の乗ずべき、口実の藉(か)るべきあらば、ただちにこれを捉うるに躊躇することなく、これがためにはあらゆる手段と方法とを講じて、着々その目的に向いて邁進し、また寸壌尺地の微といえどもこれを等閑に付することなし。新疆の如きまた彼が多年垂涎する所にして、これがためには新疆の死命を制しある伊犂を併呑するのもっとも捷路たるべきは、彼がすでに看破したる所ならざらんや。往年露国が回教徒の騒乱に乗じて、イリ一帯の地方を占領し、後里瓦斉亜(リワヂヤ)条約を訂結するに際し、種々の条件を提出して、占領地の還付を快諾せざりしは、たまたま、もって露国の伊犂に対する野心の存する所をみるに足るべし。当時リワヂヤ条約の批准に反対したる左宗棠が奏議中、左の一節あり。いわく、『さきに中国、露国と相接せず、蒙古、カザク、ブルト、コーカンドをもって遮蔽間隔をなせしに、露国は種々の口実を設けて、彼等を誘惑し、ついにこれを領有し、ますます辺境を開拓して、中国と相接し、また隔絶する所なきにいたれり。道光の中葉以降、泰西各国の船舶、中国
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