考え方として、どんな事が、私達の眼前にあらわれて来ているであろう。ちょうど、個人がものを考えるように集団がものを考える時はどうして考えるのであろう。早くいえば、学校で、会社で、議会でやっている「委員会」がそれである。
 集団は「委員会」でものを考えているのである。委員会の事務局はそれが都合よく考えるように世話をするところの、個人でいえば身体のようなものである。日本では、この集団としての研究の事務局が未成熟な場合があるのである。
 更に次に個人がものを記憶するように、集団はどうして記憶するのであろう。ここに図書館が問題となるのであるが、カード記号の組織で記録する事が集団機構のものの憶え方なのである。日本全国の図書館の綜合目録、すなわち全部の本のカードを一カ所に集めるという国立国会図書館法の命ずるところのものは、こういう考え方の中核をなすものである。
 ちょうど昔、語部《かたりべ》というものがあって、もの憶えのよい個人が歌のようにして歴史を憶えていたのに、今、民族を単位として、巨大な組織体として、図書館が、綜合目録で、またマイクロ・フィルムによってそれを交換しながら、全記録を残すことを試み
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