ようとしているのである。もはやここでは、巨人のような機械構造が民族の語部として、立上ってゆくのである。油のよくひかれた、とぎすまされた精密機械が音もなく完全に動いてゆくように、わが図書館は自らを訓練しようとしている。これは、機械におびえている世紀の恐怖に立ち向って挑戦している眼に見えない闘いともいえるのである。
 今、C・I・E図書館が、ライブラリーと呼ばれるよりも、インフォーメーション・センターと呼ばれている事は注意すべき事である。本に関係をもつよりも、情報行動の集団的中心として、図書館はその姿をかえつつあるのである。
 私はこれまで図書館は三つの考え方をもって歴史の中に進展して来たと思う。第一は「文庫としての図書館」である。第二は「百貨店としての図書館」、第三は「情報網としての図書館」である。
 第一の時代は、図書館といえば、円天井のあるシーンとした、いかめしいお寺か、教会堂のような図書館である。事実外国の図書館も、必要もないのに何処でも中央に円天井をもたねばならぬ事としてその様式をとっているのである。アメリカの国会図書館ですら、旧館はその様式をとって不便をしのんでいるのである。か
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