野に山にかかる虹の橋
中井正一
一九五〇年の新しい年があけるにあたって、日本の図書館は何を自らに省みるべきであろうか。
この世紀の前半、私達は、まず図書館の建設、本の集積に力をつくして来た。この事は互いに競争し、互いに追いつ追われつ、進み来たった道であった。しかし、この世紀の後半は、それだけではすまなくなってきた。
もはや私達は、互いに競争し、互いに孤立しあっていては、自ら存立できない段階に立至ってきた。お互いの力の結集で、法案をつくって、協同の力で、その予算を確保しなければならなくなってきた。
このことは、すでに、図書館が、本の量、館の面積のみでは、成り立たない段階に立至ったことを意味するのである。
すなわち孤立した「実体」としての図書館として、成立する上に何か加わらなければならなくなったのである。今や、図書館は、協同した「機能」としての、「はたらき」としての図書館の概念が、ここに新しく生まれはじめているのである。
いいかえれば、流れ作業としての印刷カードの流れの一環としての図書館網の出現、それを土台としたところの、綜合目録の完成、更にお互いに特殊図書館としての長所の分担等、全図書館をもって打って一丸とした体系立ったピラミッドを築くことで、新しい図書館の概念を誕生せしめることである。
更に、図書購入においても、出版の協会との連絡で、いろいろの文庫を設けて、基本図書、青少年婦人等々の購入連絡網を確立しなければならない。
野や、山や、海辺にいる可愛い少年達、青年達の手の中に、好い本をもたせてやりたい。本を一杯彼等の眼前に、あふれるようにつみあげてやりたい。
そして、本に飢えているあのつぶらな瞳をキラキラと輝かせてやりたい。
都会にあふれているこの本を、遙かに遙かに野に山に、美事な抛物線を描いて間断なく投げてやりたい。
私達は、野に山に、この虹のように美しい橋を都会から、田舎へとかけ渡さなくてはならない。そしてその虹の橋は、間断なき流れをもって流されていなければならない。
図書館が一つの網として、「はたらき」の網として、重々無尽の映し合う露々の玉として輝くとき、それははじめて生きてくるのである。
大きく弧を描く、蒼空の虹のように、図書館は深々とその足を野山の中に降ろすことができるのである。
本の交流において、整理のカードの流れにおいて、お互
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