圧するような感動を憶えることがあった。
 三原から、夜十時すぎの復員列車にぶらさがりながら家にかえる時、このビョウたる自分も、歴史の中に、その生きる意味を、今の瞬間もっているかもしれないという、ちょっと甘いセンチメンタリズムに落ちることもあった。
 カント講座は尾道でも三原でも七月まで続けられた。七月には両市で青年講座を計画するに至った。尾道は、七月二十八日より八日間、毎夜七時より十時まで二講師ずつというプランであった。
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資本主義批判       青山 秀夫
新憲法論         田畑  忍
労働組合論        住谷 悦治
論理学における新しき展望 中井 正一
芸術における東洋と西洋  須田国太郎
ソヴィエートの実情    前芝 確三
[#ここで字下げ終わり]
 会費は二十円であった。青年会の内部でも聴講者百名位という軟論もでて、議論が沸騰したけれども、ついに断行と定まり、悲愴なる幹部の緊張振りは、はたで見る眼にも著しかった。私も何か祈るような思いであった。思えば三名五名の聴講者をもつ経験をした自分にとっては、せめて三百名の聴講者を祈らしめたのである。講師は自分の家に宿めて、後は野となれ山となれでぶつかる気で自分もこの夏の陣に対した。
 開講三日前にやっと二百七十名の報告を得た。やれやれと思った。団体加入三十名以上十五円、五十名以上十二円、百名以上十円という苦肉の策も計っていたので、最後の締切りの日まで見当がつかなかった。その日になって見ると意外にもグッと六百五十名となって、今度は断わらなければならなくなってしまった。青年会の連中は今度は鼻息あらく、「断然断わります」などと頑張っている。私はほんとに心の底から、「よく来てくれた、有難い」としばらく眼をつむったのであった。
 第一夜、七時頃、街の本通りはノート片手の小ザッパリとした青年と処女が、一つの方向に向う陸続とした行列で満たされた。
 住谷君は毎夜、丘の講堂に登って行く男女の群を見上げて、「好いなあ、お祭りだなあ」と言って立止った。それはまた、夏涼みの市民に対して八日間ぶっつづけのデモンストレーションでもあった。皆この美しい、若い、青年と処女の、絶えざる歩みと結集に眼を瞠らずにはいられなかった。戦が終って、文化への結集へと立上ってゆく巨大な群像となって、何か圧迫的なもの
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