知識と政治との遊離
中井正一
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(例)[#「プラトン型」は太字]
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現在往々にして、知識層が政治に期待を失って、その行動の方向を失わんとしつつあると伝えられている。それは敗戦再出発の歴史的瞬間にある日本民族にとって、寒心すべき事態であるといえよう。
何故、知識層が、政治より絶望し、遊離し、やがて現実そのものも自棄的に放擲するような事となるのであろうか。案外その理由と歴史は深くかつ遠いのであるまいか。その基礎と様態について省みてみたい。
私は政治から遊離するところの知識人を、ちょっと冗談めきはするが、ギリシャに例をとって大ざっぱにプラトン、ディオゲネス、アリストテレス、ソクラテスの四つの型にわけて考察の便宜にしたい。
プラトン型[#「プラトン型」は太字](敗退的遊離) プラトンの例にみる如く、政治への熱情やみがたく、革命運動に参画し失敗、奴隷に売られ、その身代金の余分でアカデメイアという彼の学園をつくって、完全に政治より遊離して、理想の国を夢みて一生を終ったのである。彼の国家論は敗退せる政治的知識人が、実践より手を引いて、論理の上にのみそれを辿っている一つの完全な例である。しかし、それが一つの典型的遊離であることは論をまたない。多少の差はあれユートピストはかかる遊離の中に生き、東方の聖人にもその多くを見るのである。孔孟の教えもニュアンスの差こそあれ、政治に参画できず、改革実践にまで展開せず、学園的理論に止まった限りの人々はこの遊離の類型の中に止まった人々である。孔子などは、この遊離に深い嘆声を発しつづけた人である。『論語』ほど感嘆詞の多い哲学書は世界にあるまい。知識が政治に吐いた嘆きの塊みたいな本である。この嘆きがもう一歩遠心的に、孔子も誘惑された如く、「詠じて帰らん」とふみ出してしまうと、一つの限界を越えて他の類型となるのである。
ディオゲネス型[#「ディオゲネス型」は太字](逃避的遊離) 宇宙に流れている神と人間に共通な法則、その知的認識による静慮以外に心をまどわすものを退けて、従って政治をも離れて、たとえそれが樽の中の生活でも悠々と自適する生活を尊ぶ、これがこの類型のはじまりである。アレクサンダーが彼を訪問して、彼に何なりと要求せよと政治力を示したとき、彼はアレクサンダーに「自分に陽があたるように、ちょっと身をよけてくれ、それだけでいい」と言ったという。政治への知識人の無関心の一つの類型である。世の中がどんなに悪くなって、自分が不幸になろうとも、それは宇宙の秩序の運命的推移の一つのあらわれであると諦観し、かく見ることのできる知的判断力と、秩序を観察しそれに委ねる心を動揺させずに持続することを練習するのである。人々はこれをストア哲学の一学派の如く片づけやすいが、この観察することができるという事は、知識という事と離すことのできないことであり、苦しみを耐えるときにこれがなかなか役立つのである。宗教的忍苦、スパルタ的教養、プロテスタンティズムにも流れており、ヨーマン層的倫理にも尾を引くとともに、また一歩方向を変えれば、東洋的、老子的、竹林の七賢の如き、逸人的逃避から、やがて、カストリに一時のつかの間の主観的遊離をむさぼる型態にまで、同じ一つの根をもっているのである。それが逃避としての遊離であることは共通している。しかし、この遊離は事実その政治そのものから遊離しなくても、世界観としてかかる態度で遊離する場合がある。例えばマルクス・アウレリュウスのごとくローマ皇帝の位、すなわち政治のど真ん中にいても、心はその世界が嫌でたまらず、のたうちまわりながら、その世界から逃避しようと、彼の中の「知識」は叫びつづけている。奴隷であるエピクテートスと、奴隷使役者であるマルクス・アウレリュウスが、同じこのディオゲネス的逃避行の中にもがきにもがいているのである。
制度が凄惨なる様相をおびているとき、知性が裂目をよぎる光のように真実を見せることがある。「ただ一つの事が私を苦しめる。――人間の構造が許さないことを、私は何か企てているのではないか、そういう心配である。根本的に全く許されないこと、手段において許されないこと、また、ともかくも現在の場合許されていないことを企てているのではないかという心配である。」とアウレリュウスは心ひそかにつぶやいている。そして更に「お前はいつでも自分自身の体のうちに逃避できるはずだ。……殊に自分の内部が整理されていて、そこに入りさえすれば、大静寂の真ん中に坐り得る人にとってなおさらである。この静寂は、私の目には、りっぱに整頓された心である。」(『わが心の日記』、大原武夫訳)
しかし、アウレリュウスのこの言葉の背後では、彼の命令でキリスト教徒の女子供が、獅子の群の中へ投ぜられる悲しい叫びがいつも断えなかったのである。彼はそれに耳を覆うかのように北部の討伐に出ていったのである。知識の政治よりの逃避的遊離のもたらす悲劇のなかでも典型的な類型である。
アリストテレス型[#「アリストテレス型」は太字](妥協的遊離) アリストテレスはアレクサンダー大王の教師であり、彼の政治及びその後一千年を支配した封建的機構に対して、まことに都合のよい理論を構築することに成功した人である。これは決してアリストテレス個人の業蹟というべきでなく、次の事にまた原因をもっている。それは、人間は自分で生きて経験している以外のことはなかなか理解できないということである。すなわち封建的に生きている時代にはそういう関係以外の秩序はなかなか理解できない。一人の人の命令で国家の秩序が保たれている時代には、真理は唯一つの定理のようなもので成立していて、その定理の下にすべての現象が服従していると解釈すると判りよくもあるし、その政治家にとって都合もよいし、また知識人にとっても職業にありつけて、あわよくば高位高官の禄をも食めるということとなるのである。
アリストテレスの考え方は、全くその政府の機構に適応し、妥協し、哲学として、後のキリスト教的支配に、理論のサンプルを与えたのであった。しかし、当時のギリシャ民衆にとって、アリストテレスの政治的位置は必ずしも密接ではなかったのである。異民族のマケドニヤの王に付随したことも手伝って、ギリシャ民衆に対しては、圧迫の理論として反感をもたれ、民衆的現実から遊離していたのである。かかる類型は、何れの時代にもあらわれるのであって、知識が単に抽象的に為政者の便宜のために使役され、駆使され、真の意味から遊離し、また政治そのものの批判的精神からも遊離し、馬車馬が、馬車の方向から自ら遊離しているように遊離する場合が起るのである。
軍閥政治の時は、官僚は、その地位に止まることによって政治から遊離したといって間違いはないであろう。意志と異なるその政治を黙々と行政として行なうことは、自ら、政治の本質、民主的政治行動を放棄したともいえよう。これを妥協的遊離と私は名づけておきたいのである。知識が政治から遊離する場合の、最も深刻であり、惨憺たる情況はこの部門であると私は考えるのである。かかる場合、その幾十パーセントかは、その職にありながらプラトン型に何かほかに凝るものを見つけるか、ディオゲネス型にカストリを飲むかしながら、やはり、その知識の奉仕をアリストテレス型に能吏として行なうという事となるのである。更に一層凄惨となってくるのは、かかる遊離すなわち悪いこととは知りながら毒を喰わば皿までと収賄し、巨大化し、その権力者をその知識をもって簒奪せんとすることが起るのである。宦官的官僚こそは、知識と政治の妥協的遊離の涯と考えてよいと思うのである。何れの歴史にも、かかる記録に充ちみちている。この遊離のアンチテーゼとしてあらわれる類型がここに最後に残ってくるのである。
ソクラテス型[#「ソクラテス型」は太字](捨身的遊離) 理論の示すなすべき行動は客観的には唯一つである。しかし政治的行動につっこむにあたっては、自分の死をも意味するという場合があらわれてくる。それにつっこんでゆくことは、政治的行動そのものであるが、死んでしまえば、あたかもそれは遊離にも似ている。しかし、ソクラテス、ジョルダノー・ブルーノーその他かかる行動の中に身を挺した知識人は決して少くはないのである。しかし、遊離としかほかに表明ができないほど、彼等は、孤独に、むごたらしく、一枚の紙片の如く歴史の闇の中に消え去っている。しかし、彼等が思いを残して死んでいるその思いは、脈々として一筋の綱のようにつながっている。
中国の『資治通鑑』の中では、かかる死を遂げた知識人(諌官)が、数十名、世界の文化史の中に、燦爛とかがやいている。それは宦官政治の重圧にもよる事ながら、それに対して、知識の掘り起した法則の深さに心うたれ、死を賭け、冠を白階に置いて言うことだけは言って、承知の上で煮られ、炙かれ、裂かれ、腰斬された知識人達は、何と孤独で戦わねばならなかった事だろう。それよりほかすべがないほど、大衆はおくれ、啓蒙の手段もなかったのであろうか。
私は以上知識人の政治より遊離した四つの様相について、大ざっぱではあるがわけてみたのである。この四つの類型に共通な問題を取りあげて、遊離の基礎をつきつめて見るに、次のように考えることが出来はしまいか。
第一に文化機構の上から考察してみるのに、知識の問題に更に根底に横たわっているのは、人間が客観的世界に法則がある事を発見したことの問題である。いいかえれば、現実の存在が、可能的法則のもとに動いていることへの驚きが横たわっている。この法則を発見し伝えてゆく役割をもつ職業的階級が知識人である。
法則が客観的存在のみならず、人間と人間の関係にもあるらしい事に気づき、ここに法律を創る事が、専門的任務となってきたのである。しかし法律は支配するものの様相で変ってゆくし、変えることも出来る。落下の法則のように簡単でなく、それをつくるものも真の民主主義国家の出現するまでは、使役さるるものとしての知識人がつくっていたのである。民衆がむしろ実験台となったのである。使役さるる知識人は、奴隷であり、禄を喰むものであり、給料をもらうものである。かくて、非民主主義時代の知識人は隷属的地位であるとともに、支配者によって、客観的真実及び大衆的幸福が拒否さるる可能性があるのである。この拒否に面して、前に見る四つの遊離の様相をもたらしているといえるであろう。
第二には知識の問題それ自身に横たわっている条件がある。これまでの哲学的態度が一つの方法論になっていた。すなわち知識が観察の上に成立し、その観察している態度を更に観察することを要するという構造をもっている。これは行動そのものから、自己を除外して、意識面の中に対象をうつしかえる可能性をもっているのである。これは知識を個人的主観の意識中にとじこめる方法である。プラトン型、ディオゲネス型の何れもこれを足場に政治行動から遊離する基盤をもっているのである。アリストテレス型もその行動的矛盾を誤魔化すことができるし、またソクラテス型では、知識の孤独化への契機ともなってくるのである。
この世界観的方法論においては、プラトン、アリストテレスに共通な現実から遊離したアイドスがあるという考え方である。身近にいえば「理論的にはこうだが、実際はこうなのだ」という時の理論と実際は分離しているという考え方、それをうずめるのが政治であるという方法論的立場である。この「観察と行動」「理論と実際」が分離しているという考え方自体の中に、知識自体が政治婢であり、そこでもって、遊離した支配を受けてもしかたがない。あたかも妾的取扱いをうけるゼスチュアがそれみずからの態度の中にあったともいえるのである。
哲学そのものが、知識そのものが、今や、新しくその態度そのものを、方法そのものを革めるべき時に面している。その事を、哲学では哲学の危機と叫んでいるのである。
以上、知識を
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