できないほど、彼等は、孤独に、むごたらしく、一枚の紙片の如く歴史の闇の中に消え去っている。しかし、彼等が思いを残して死んでいるその思いは、脈々として一筋の綱のようにつながっている。
 中国の『資治通鑑』の中では、かかる死を遂げた知識人(諌官)が、数十名、世界の文化史の中に、燦爛とかがやいている。それは宦官政治の重圧にもよる事ながら、それに対して、知識の掘り起した法則の深さに心うたれ、死を賭け、冠を白階に置いて言うことだけは言って、承知の上で煮られ、炙かれ、裂かれ、腰斬された知識人達は、何と孤独で戦わねばならなかった事だろう。それよりほかすべがないほど、大衆はおくれ、啓蒙の手段もなかったのであろうか。
 私は以上知識人の政治より遊離した四つの様相について、大ざっぱではあるがわけてみたのである。この四つの類型に共通な問題を取りあげて、遊離の基礎をつきつめて見るに、次のように考えることが出来はしまいか。
 第一に文化機構の上から考察してみるのに、知識の問題に更に根底に横たわっているのは、人間が客観的世界に法則がある事を発見したことの問題である。いいかえれば、現実の存在が、可能的法則のもとに動
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