ーセントかは、その職にありながらプラトン型に何かほかに凝るものを見つけるか、ディオゲネス型にカストリを飲むかしながら、やはり、その知識の奉仕をアリストテレス型に能吏として行なうという事となるのである。更に一層凄惨となってくるのは、かかる遊離すなわち悪いこととは知りながら毒を喰わば皿までと収賄し、巨大化し、その権力者をその知識をもって簒奪せんとすることが起るのである。宦官的官僚こそは、知識と政治の妥協的遊離の涯と考えてよいと思うのである。何れの歴史にも、かかる記録に充ちみちている。この遊離のアンチテーゼとしてあらわれる類型がここに最後に残ってくるのである。
ソクラテス型[#「ソクラテス型」は太字](捨身的遊離) 理論の示すなすべき行動は客観的には唯一つである。しかし政治的行動につっこむにあたっては、自分の死をも意味するという場合があらわれてくる。それにつっこんでゆくことは、政治的行動そのものであるが、死んでしまえば、あたかもそれは遊離にも似ている。しかし、ソクラテス、ジョルダノー・ブルーノーその他かかる行動の中に身を挺した知識人は決して少くはないのである。しかし、遊離としかほかに表明ができないほど、彼等は、孤独に、むごたらしく、一枚の紙片の如く歴史の闇の中に消え去っている。しかし、彼等が思いを残して死んでいるその思いは、脈々として一筋の綱のようにつながっている。
中国の『資治通鑑』の中では、かかる死を遂げた知識人(諌官)が、数十名、世界の文化史の中に、燦爛とかがやいている。それは宦官政治の重圧にもよる事ながら、それに対して、知識の掘り起した法則の深さに心うたれ、死を賭け、冠を白階に置いて言うことだけは言って、承知の上で煮られ、炙かれ、裂かれ、腰斬された知識人達は、何と孤独で戦わねばならなかった事だろう。それよりほかすべがないほど、大衆はおくれ、啓蒙の手段もなかったのであろうか。
私は以上知識人の政治より遊離した四つの様相について、大ざっぱではあるがわけてみたのである。この四つの類型に共通な問題を取りあげて、遊離の基礎をつきつめて見るに、次のように考えることが出来はしまいか。
第一に文化機構の上から考察してみるのに、知識の問題に更に根底に横たわっているのは、人間が客観的世界に法則がある事を発見したことの問題である。いいかえれば、現実の存在が、可能的法則のもとに動
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