後では、彼の命令でキリスト教徒の女子供が、獅子の群の中へ投ぜられる悲しい叫びがいつも断えなかったのである。彼はそれに耳を覆うかのように北部の討伐に出ていったのである。知識の政治よりの逃避的遊離のもたらす悲劇のなかでも典型的な類型である。
アリストテレス型[#「アリストテレス型」は太字](妥協的遊離) アリストテレスはアレクサンダー大王の教師であり、彼の政治及びその後一千年を支配した封建的機構に対して、まことに都合のよい理論を構築することに成功した人である。これは決してアリストテレス個人の業蹟というべきでなく、次の事にまた原因をもっている。それは、人間は自分で生きて経験している以外のことはなかなか理解できないということである。すなわち封建的に生きている時代にはそういう関係以外の秩序はなかなか理解できない。一人の人の命令で国家の秩序が保たれている時代には、真理は唯一つの定理のようなもので成立していて、その定理の下にすべての現象が服従していると解釈すると判りよくもあるし、その政治家にとって都合もよいし、また知識人にとっても職業にありつけて、あわよくば高位高官の禄をも食めるということとなるのである。
アリストテレスの考え方は、全くその政府の機構に適応し、妥協し、哲学として、後のキリスト教的支配に、理論のサンプルを与えたのであった。しかし、当時のギリシャ民衆にとって、アリストテレスの政治的位置は必ずしも密接ではなかったのである。異民族のマケドニヤの王に付随したことも手伝って、ギリシャ民衆に対しては、圧迫の理論として反感をもたれ、民衆的現実から遊離していたのである。かかる類型は、何れの時代にもあらわれるのであって、知識が単に抽象的に為政者の便宜のために使役され、駆使され、真の意味から遊離し、また政治そのものの批判的精神からも遊離し、馬車馬が、馬車の方向から自ら遊離しているように遊離する場合が起るのである。
軍閥政治の時は、官僚は、その地位に止まることによって政治から遊離したといって間違いはないであろう。意志と異なるその政治を黙々と行政として行なうことは、自ら、政治の本質、民主的政治行動を放棄したともいえよう。これを妥協的遊離と私は名づけておきたいのである。知識が政治から遊離する場合の、最も深刻であり、惨憺たる情況はこの部門であると私は考えるのである。かかる場合、その幾十パ
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