どで速報的に処理されるので、作業そのものが拙速で権威のない仕事に陥りがちである。総じて欧米先進国に比べて、わが国では学問と調査との隔りが大きい。学者は深遠な学理を探求することをもって誇りとし、調査的な仕事にたずさわるのは学問の堕落のように考えられている。他方、調査機関の側では、学者の研究はすべて迂遠であって役に立たないときめておる。双方が互いに敬遠し、軽蔑し合っている有様である。
だが、ちょっとした調査でも、基礎的な学理の背景なくしては、権威ある業績とはならない。深遠な学理を、日常の業務に役立つように消化し普及させるには、学問と実務との双方のセンスを身につけたスペシャリストの介在が必要であろう。わが国では、学者というとひどく迂遠であり、また調査マンというとひどく拙速屋であって、両極端をなしているが、先進国では両者の距離はもっと接近しているようだ。わが国でも、学問―調査―実務の関連が、もっともっと緊密になることが望ましい。それがためには、学問と実務との橋渡し役をする多数の優秀なスペシャリストが必要であるが、わが国の社会には、優秀なスペシャリストの養成を阻害する重大な要因がひそんでいる。まず第一に指摘せねばならぬ重大なことは、わが国では技術系統の専門家は公平に待遇されておらないことである。このことは、明治以来の問題であったが、戦後においても余り変わっていないようだ。日本の社会はまだ、科学を尊重し専門学を充分に認識するまでに進化していない。現在、研究調査は国家予算によって賄われているものが大部分であるから、例を官界にとる。わが官界はかつて高文官僚の独占であって、行政系統の官吏は早く課長、局長、次官の出世コースを進むことができたのに反して、技術系統の官吏は傍系として出世街道から長くとり残されていた。この空気は現在でも余り変わっていないようだ。調査マンも一種の技術家であるから、往時の技師と同じ立場におかれている。
もっとも、以前は調査部などに入る者は、官民を問わず、活社会で働けない不健康者や無能者が多かったようだ。調査部などに入れば、出世はできないものと自他ともにきめていたようだ。しかし、大正時代以降、社会問題に刺激されて調査マン生活に入った者は、学問的能力においても人格的にも一流官立大学の教授に劣らない人もいたのであって、調査マンの素質は一変している。けれども依然として
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