会」といった調査機関がたくさん生まれた。それらはすべて陽に陰に、軍と軍需産業と植民地利潤とによって支持されたものである。これら民間の諸調査機関の優秀なスタッフが一挙に大きな力を発揮したのは、戦時中に「企画院」(はじめは「内閣調査局」)が設立されたときである。戦時中の大調査機関としては、「東亜研究所」も忘れることのできない存在である。
 敗戦とともに満鉄調査部、企画院、東亜研究所などの大調査機関は消滅した。また財閥によって支えられた調査機関も自然消滅した。さらにまた、経営力集中排除に伴い、事業者団体の調査機関も極めて小規模のものに縮小されてしまった。かように在来の機関が姿をひそめた反面に、GHQによって推進された新たな調査機関が続々と生まれた。国立国会図書館とその一部局たる調査立法考査局はその最大のものであろう。国会図書館はまた各官庁に支部図書館をもち、横のひろがりをもった組織を含んでいる。各省の調査部も一時は調査局にまで昇格したことがあった。その他統計委員会をはじめとして幾多の委員会が設けられ、それぞれ調査が進められ、その成果が発表されている。
 占領政策を実施するためには、綿密正確な統計資料を必要とするので、アメリカ型の統計作成業務が急速に導入された。経済安定本部をはじめとして各行政官庁は、その調査統計業務を急速にアメリカ化せざるをえなかった。かくして、少なくとも外面的には、アメリカ的機構と技術とをとり入れた調査機関体制ができ上がった。さて、その中味はどうであるか。
 何よりもまず指摘せられねばならぬことは、わが国には偶像を破壊し、権威と闘った科学的精神の発達史がないことである。したがって、研究調査機関の外形はあれども、魂はない。科学的調査に立脚して政治なり事業経営なりをおこなうという空気は、まだ低調である。それを立証する最も端的な証拠は、予算縮減の際には真先に調査研究費が削られ、また機構改革の場合にも調査系統が真先に槍玉にあげられることであろう。もっとも、これは調査そのものが政治なり事業経営なりにとって、まだ充分に役に立つような形にまで進歩していないことにもよるであろう。内容的に見ても権威がないし、また時間的にも間に合わないなどの欠陥があるために、調査の重要性が稀薄になっていることもある。調査というと、研究よりも一段低級のもののように考えられ、その成果もガリ版な
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