的構成が高度化していることを見のがしてはならない。
 研究調査業務のスピード化の一つとして、図書館がレファレンス業務を営むこともあげらるべきだろう。実用主義の国アメリカでは、図書館が単に文献の格納庫ではなく、この眠れる宝庫を活かすためにレファレンス業務が活発におこなわれている。アメリカの議会図書館に調査立法考査局があって、国会へのサーヴィスを担当していることは有名であるが、国会以外にも一般に対して偉大なサーヴィスをしている。昨年のような国防に急を告げる時期には、軍関係の人々の数百人からなる調査班(例えば朝鮮調査班、満州調査班など)が組織されて、議会図書館で各種の調査をしているとのことである。
 横の連絡、事務の機械化、これらの環境の下にあっては、もはや個人単位の名人芸がものをいう余地は極めて局限される。個人単位から集団単位へ、孤立から組織へ、名人芸から機械化・スピード化へ、といったことが重要となる。
 米欧諸国の調査研究機関のあり方や調査方法などにも、もちろん幾多の欠陥はあろう。だが、それらの点については一応眼をつぶって、先進諸国における調査研究機関の基本的な発展方向を描いてみれば、右のようなものになろう。

 5

 ひるがえって、わが国をみよう。西洋文明の外面的模倣の結果として、わが国にもかなりの研究調査機関が存在していた。しかし、金のかかる自然科学方面の研究は、ほとんど軍部の予算で推進されたといっても過言ではない。陸海軍の各種の研究所は、国力不相応にすばらしいものであった。民間にも理化学研究所のような大規模のものが出現した。社会科学方面では、まず満鉄調査部があげらるべきだろう。これは一時、出先の調査機関をふくめて二千人以上の職員を擁し、一千万円の巨額の予算が投ぜられたという。この東印度会社的な国策会社の調査機関の規模は、世界的なものであったといってよいだろう。その他、外務省、大蔵省、日本銀行などの調査部も長い歴史をもち、信頼すべき資料を作成発表していた。大正中葉から昭和にかけて社会問題、労働問題がやかましくなった時代に幾つかの研究調査機関が生まれた。「大原社会問題研究所」や「協調会調査部」などは特記せらるべきものだろう。「日本経済連盟」や「商工会議所」の調査部、「三菱経済研究所」なども逸することのできない存在であった。昭和時代になると、「何々調査会」「何々研究
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