理論が精密化したらしっぱなしである。西田哲学が判らなくなったら、「判らなければ、ついて来い」である。精密で、大衆に判らないものほど高度のものとなってゆくのである。名誉なのである。学問は大奥へ大奥へと高く深くゆくにつれて、権威と尊厳を加えるのである。知識人の間には、それに向って羨望と嫉妬と競争が起って来るのである。全く戦国時代の一番乗り気分と少しも違わぬのである。
 これで田畑を乗りまわされるだけでは、農民にとっては、只迷惑が残るのみである。今や、理論の簡単化と堅牢化、誰にも判って、しかも間違いの起らない類型化が必要となって来た。出版界も、それに留意しなければ、威張ったコケ威しはもはやきかなくなって来た。
 文化遺産を万人の手に、雨が降って土を崩しながらしみ透ってゆくようにしみわたってゆかなくてはならない。そして、一度農民達に入って再び盛上って来る理論の再生産が、一九五〇年以後の理論機構とならなくてはならない。
 僅か三年の広島県での文化運動の経験ではあるが、二、三人の聴講者の六カ月、七十人の八カ月の苦闘は、燃料がくすぼって眼をあけられないような期間であったが、このくすぼる間の一年が一番
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング