大切な[#「一番大切な」は底本では「一大番切な」]耐えるべき時で、それはある瞬間に「ボーッ」と真っ紅に燃えつく時である。それは七百人の夏期大学となり、ついに広島県十三万人の労働文化協会となった。これは知識の表現の適応化が、機械的に、組織的に、大衆の中で流れ作業をした一つの例だと思っている。新協の『雷雨』を県下の五カ所に取ることの出来た労働者の組織は、意識革命進行の具体的な一つの実験であった。六十人の労働者の真中に立って舞台装置を作った深夜の小学校の講堂の情況など、私には一生忘れえない思い出となった。
 知事選挙戦に彼等は私を推して現知事と一対一の戦を挑ましめて、僅か三万円の運動費で二十九万二千票を集めてくれた。

 聴講者0《ゼロ》の講演会場で、母と二人のみ在ったあの日、どうして、三十万の人々の顔を想像できたであろう。
 それは、私にとって現つの奇蹟の連続であったが、しかし辿り辿ってみれば、文化的知識の科学的簡単化と堅牢化が、今正に欠けていること、このことの流れ作業的組織が、飢えに飢えられていることの一つの具体的な実験としてここに記録したいのである。



底本:「論理とその実践――組
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング