いるというか、三百年おくれているビッコになっている歴史のゆがみ、立ちおくれたルネッサンスを、今ここに農民と共に通過しているといったような壮大な時間を経験する。そんな時の農民組合の喜びかたはまた格別である。「先生この村が立上りましたら、あの村も、あの村も」と、広い広い雲雀の鳴いている平原の向うの山並みの一つ一つの集落を指さして昂奮して口ごもっている。
こんな日に帰る途は、霰でもふってくれないかと思うほど、こちらも弾んでいる。こんなに成功した一席の後は必ず、「先生、あの宇治川の先陣の一席をもう一ぺんやってつかあさい」といってやってくる。同じものでなければ承知しないのである。
ここに問題があるのである。彼等は、知識を求めているのではないのである。意識革命をしたいのである。一字一句違わない講演を、三度、十里の道を追って聴きにやって来て、三度目にはじめて「腸を出して洗ってもらいましたわあ」とよろこんでいる。一たん意識が革命を通過すると、同じ講演内容を一字一句違わず二時間かかって、他の皆にいつでも語って聴かすことの出来る連中でもある。
自分の意識の革命を志す農民の心根、これが、文化の大黒柱
前へ
次へ
全11ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング