のは腹の底までは届かない。これが腹の底まで行かなくても、喉の辺りにつっかかっても、それはもうこちらのものである。

 私は、三カ月の敗衄の後に、更に腰をひくめて三カ月ジリジリと勝利への苦闘を一月、二月、三月とたたかった。ついに四月、七十人のカント講座の聴講者をつかんだ。つかんだというより、一人一人拾っていったのである。
「これはほんとだろうか」という、喜びとも驚きともつかぬ、ぼうっとするようなこころもちである。
 三原市にも水曜日の夜はカント講座が開かれ、四月から十一月まで、七十人が一夜もかけなかった。いつでも帰りは夜十一時四十分の復員列車であった。満員の車の扉の外に外向きに両手でつかまって、尾道市まで、深夜の闇の中をゴーゴーと帰って来るとき、自分の中にもまた昂然と沸ぎるものがあった。
 農家の人々の講演に出て、講堂一杯の大衆がキーンと緊まって、少しだまってみてもシーッと全堂寂まりかえってくる。こんな時が、文化運動にたずさわっているものの、何というか、しびれるような喜びとでもいう瞬間である。腹の底を何かヒタヒタと流れる涙のようなものが走って行く。
 何が楽しいといって、何か歴史を継いで
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