に注意すべきは、持って帰らすべきテーマは四つ以上もあっては、その重量とカサで、ついでに全部取落してしまうのである。記憶というものは、たくさんの中から二、三を取上げるものではない。ある量以上になると、全部落すことが学問上でも実験ずみであるが、私もそれを再び確認した。三つ位のテーマをくりかえしいって、それに具体的な例をつけて、それを身振りをつけて面白可笑しくブッつけて、更に、それを数語の標語に緊めあげて、しっかり手にもたせて、手でその上を握ってやるのである。
例えば、封建制イデオロギーなどといったら彼等は、そんなハイカラなものは、またはそんなムツカシイものは自分にはないとソッポをむいてしまうのである。「見てくれ根性」「抜駆け根性」と類型化すると、「それなら私の中にありますわあ」と笑いだすのである。しからば「何故それが悪いのか?」「みんなもっている当り前のことじゃないか」と考えてくる。そこで宇治川の先陣の一席を、「やあやあ我こそは……」と声高らかにやって馬を走らせ、刀をひらめかせて、鮮洌な印象の中にそれが展開されて、彼等の口がポカンとほほえみと共に開けられて来なければ、こちらから投げ込むも
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