人で一時間ばかり待って、ついに放棄するハメに二度も陥ったのであった。いかにも気の毒そうに眼のやり場のない私を、なんにもいわずにじっと見ていた母が、私には夢の中で突然、物が巨大になる瞬間のような異常な存在のように、たとえがたいものとなって胸にしみてならなかった。

 私はこの敗衄を三カ月つづけた。そして一度は、大衆が愚かであって、啓蒙の困難は何れの時代でも経験するところの、ヒロイックな悲劇性を帯びるものであると、いわゆる深刻型のセンチ性でもって片づける誘惑に惹かれた。しかしたとえ二人でも、母ともう一人の青年に語るこの苦痛の中に、私は一つ一つものを憶えていった。実験もしていった。
 つまり、私は、大衆、殊に封建性そのものの中に沈澱している農村の子弟に対しては、いろいろの表現すべき秘密があったことを知っていったのである。彼等が、一番反発するのは、自分達のわからない英語、ドイツ語のカタカナが出てくることである。それに出遇うと実に不快な表情を示すことを私はだんだん気がついた。更に語らんとする大切なことを一度だけいって次に進むと、ハッと面白いと思っていても、それを握りしめないうちに取落してしまうら
前へ 次へ
全11ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング