く、大いなる曲り角をしめしているのである。

 一九三九年は、世界が個人文化より集団文化に移らんとする歴史の傾斜の中で、世界の人々が呻きのたうっていた年でもあった。
 図書館の副館長マルチン・ロバーツ氏は、本の注文の書類の前に坐って、一日十二時間から十四時間働いていた。それにもかかわらず、法律図書館長のジョン・ヴァンス氏は、注文の書が後れることの原因を「自分が買いたいと思う本も、購入書類が副館長の事務室に積みあげられるが故に、いつも逃がしてしまう」とマックリーシュ氏に断乎として主張するのであった。
 六百万冊のうち、百五十万冊(ほんとうは一、六七〇、一六一冊)は未整理として残っていた。一年間に三万冊の割合で、図書ならびにパンフレットが未整理として残りつつあった。一九三九年度には、十七万冊が行方不明になっていた。それは、各々の部門と部門の連絡の不充分な裂目の中にすべりこんでしまい、一つのカオスと成っていったからである。それは、後に五万冊にまで減じたが、何処かに、きわめるべき組織の誤謬が残っていた。製本すべき本も三十七万冊が、読むあたわざるかたちで待機していた。
 かかる各部門の独立は、会計を複雑にし、マックリーシュ氏が会計検査院から五人の委員会を組織せしめ、また一九三九年より一九四二年まで調査せしめたにもかかわらず、その清算は完成しなかったのである。
 整理能力も、世紀の初めよりは半減していた。カードの配布も非常に後れていた。それは各課が、各々独立の目録と函架と索引の伝統をもっていたからであった。

 マックリーシュ氏は、これ等の批判をするべく小委員会を組織した。この委員会は、五カ年営々とキタンなく批判し、それは極秘にされて、マックリーシュ氏の手許に握りしめられていた。
 整理が受入れに追付けないこと、立法リファレンスに専門家が欠けていること、図書館員の俸給が甚だしく低いこと、行政手腕のある職員が欠けていること等々の結論は、マックリーシュ氏の胸の中に、深い傷としてえりこまれたのである。
 そこで彼は、副館長のもとに、整理の全組織を統一せしめる大手術を加えた。そして、事務局の理事に有能の士ベルナール・クラップ氏(現副館長)を据えて、全体を精密機械の如く組織化したのである。
 かくして、全く面目一新して、「この戦いに勝ったのは国会図書館の能率化にある」と人をしていわしめる
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング