にあとの月、菊に雪見にいたるまで、その衣裳まで、凝りに凝るという、上等なメロンにウィスキーを入れて四、五日冷凍したような、手の込んだ冷凍文化がここに三百年つづいていることは、何でもないことのようであるが、大変なことなのである。
 しかも、その冷凍が、この蒸しあつい一九〇〇年代に、一度に開放されて、野ざらしになっていることである。冷凍の常ながら冷たいまますぐ腐っていく可能性がじゅうぶんあるのである。それはそのまま、マイナスに転化する。
 この三百年のマイナスは、いうまでもなく、呂宋助左衛門頃(一六〇〇年)世界のどこにも、オランダにもイギリスにも負けない態勢にあった国が、ピタリとその発展を三百年の弾圧につぐ弾圧で、冷凍して、封建の大ピラミッドをエジプトの巨大さよりも、はるかに大きく高くきずいていったのである。
 一言にしていえば、この明治以後の百年ではどうしようもない封建性の残滓が、近代知識と同時に共存して、世界に類例のない滑稽な姿で、世界のスポットライトの前にさらされている。
 マッカーサー元帥が、日本を十二歳ぐらいの子どもだといったのは、このペコペコするチョンマゲ残滓が、あまりにも奇妙
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