にうつったからなのであろう。
 三百年の冷凍文化が、三百年の過去を一度に、古めかしい博物館を白昼の街頭に土用干ししたように、一度に並べたてているのが明治、大正、昭和につながっている私たちの文化であり、大衆の立っている地盤なのである。
 そこで、「知識人」といっても、じゅうぶん眉につばをつけなければ、いただけないものをもっているのである。「抜け馳けの功名」、やあやあ我こそはという「見てくれ根性」等々、その尻には、変なものをいっぱい引きずっているのである。
 自然のパニック、人為的パニックの連続でこの三百年、否三千年を、滝壺の水のように、繰り返し、繰り返し、たたきつけられている農民は、この百年にできてきた「知識人」を、妙な目でいまだに見まもっている。
 この農民たちは、いまだ、思想といえるほどのものをもっていない。しかし、強い願いを、この二千年ももちつづけて、一度も自分たちの思いを表現したことがないのである。
 農民にあるのは、善良と残忍、信頼と懐疑、エゴイズムと濫費等々、個性というよりも、「矛盾的性格」である。三百年の二重の重圧は、彼らに世界に類例のない不可解な性格を出現している。
 あ
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