の芸術的空間が彫刻となって来るのである。美術館の所謂物理的三次元性と、彫刻の芸術的三次元性は対応したものはもっていても、同じ空間性の中には生きてはいないのである。「影」と「動いている姿」の差があると云えるであろう。
 この絵画と彫刻の二次元性と三次元性との差は、文学の世界では、小説と戯曲の上に現われて来ると云えるであろう。
 例えば、小説で取扱うところの「気持が好い」と云う言葉の取扱いを考えて見よう。この言葉に対するにあたって、如何なる方向によって、如何なるワクの中でこれをとられ得るかという場合、「気持が好いと云いなすった」「気持が好いと云った」「気持が好いとぬかした」等々の立場があり、それを小説は表現する一つの「面」をもたなければならない。ここに小説のもつ空間的性格がある。
 この方向と距離とワクが自由となる時、ここに演劇の世界が展ける。そこでは、ただ「気持が好い」とだけ語らしめる。そして、無限の観衆の角度にしたがって、各々の立場からそれを受取らしめる。往々にして、劇作家は、自分の中に、無限に分裂した自己をもっていて、小説にまとめるには余りにも多くの自分をもっていて、それは劇の姿をも
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