後に私達、続いて御婦人の文部省課長と手を換え品を換えて“人海戦術”を取ったのであった。そして外では二十五年一月十五日を図書館デーとして署名運動、講演会、新聞宣伝と呼応して立上ったのである。こうしてやっとのことで二十七日の閣議通過、三月四日国会上程という運びとなったのである。
 ここで、私達は流線型法案の意義を再確認すべき時となったのである。もし情勢さえ許せば、できるだけ膨らまなければならない。魚の流線型は、あの鱗の動きでそのカーヴを替えうるのだそうである。私達はまずC・I・Eで、参議院の文部委員会で、この魚鱗の陣を構えたのである。補助金の「may を shall へ」と文法学的なスローガンをもって臨んだのであった。まず参議院を、そしてG・H・QのO・Kを、そして衆議院をとぬらりくらりしながら may を shall に替えて通りぬけたのである。
 四月八日の衆院本会議を通ったとき、全く私達は手を握り合ったのであった。思えば五年越しの紆余曲折のはての刀折れ矢つきた形の法案である。この回顧の上にのせて見て、はじめて、あの屁のような法案が意味をもち、それを喜ぶこころもわかって貰えるのである。
 文化法案が、この日本でもつ運命が、こんな苦労をしたことを、私は石に刻んで置きたいのである。数十年後の人々が、それを笑をふくんで読みかえす日のためにである。しかし私は、これが決して単なる屑法案であるとは思っていないのである。文化法案はそれがいかにささやかでも、生きた芽のようなエネルギーをもっているというのである。
 零戦闘機のような技術的製作でも、四十年以上義務教育のある国家の文化雰囲気でないと製作できなかったそうである。突然満洲国へ工場をもっていってもやりにくいそうである。文化というものはそんなものである。数十年の空気が醸し出すものである。ソヴィエートに二十八万あるのに日本に三百しかない図書館を、一万七百に増すことを目標とするこの法案は、決して屁のような法案ではない。
 村々に図書館が出来、円らな瞳をした少年達が、本を読む喜びを知ることは美しいことではないか。大塚金之助氏に或る雑誌記者が、「貴方がこれまで一番感動されたことは何ですか」とたずねたら、「小さい時、図書館へいって、分厚い本を館員から渡されたときの、深い感動ほど、私をゆすったものはこれまでない」といわれたそうである。私はこ
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