ていたのである。それを知らずに図書館界は、「省議通過」の飛電一閃、全国網を動員して、雀躍バーネット氏その他関係方面に猛運動したのであるが、思えばいつでも歴史は常に狡智に満ちた悪戯をするものではある。
 この頃から協会は、ほんとうに腹を据えはじめた。夢のような甘い考えをすてなければならないこと、この現実の冷厳さの中に本気に立ち直るすべを知ったのであった。「法案の流線型化」という妙な言葉を考えついたのも六月の大阪における日本図書館協会大会においてであった。ショープ、ドッジ両案でグッと緊まっている予算の空気の中をいかに通りぬけるか、そこに流線型化の意味があるのである。つまり、いつでも膨らむ用意をもちながら、一見何の経費を要せぬ屁のような法案と見えるものとして装われなければならない運命を、この法案は生まれるときに担っていたのである。文化国家となるのもまたつらい哉である。
 公共図書館協議会なるものを九月に作った頃から、この法案はラーストコース、ラーストスパートに入った。この頃バーネット氏を引嗣いだフェアウェザー嬢も帰り、再びネルソン氏の世話になることとなったのであった。理事長の責務にあった私は、二十五年度の提出の機を失したならば、あるいは永遠にその時をもたないかも知れないと見たのであった。そこで、弱い法案なら通さない方がよいという一部の館界の意見を説き伏せて、流線型法案として(自分は「砲弾型」とたわむれに呼んだのであった)正月の初閣議に持ち込むことに計画を立てたのであった。
 十二月に、図書館協会の図書館法委員会を糾合し、文部省の局長以下全員国立国会図書館エジプトの間に集まって、法案通過のためには、最少限度の予算措置をも忍ぶという統一態勢に、まとめあげたのであった。かかる上は、もはや全責任はこちらに移ったのである。一つの法案が私達の手を離れて法となるにはG・H・Qをふくめて十カ所の関所を通過しなければならない。館は打って一丸となり、文部省とピッタリと腹をあわさなければならない。それには文部省の新婚間もない事務官などを罐づめにして、年内に法務府に法案が渡るようにしなければならない。
 補助金の文字(まことに文字だけにしかすぎないのであるが)を、may(行ない得るものとする)でよいから残して下さいと、大蔵省の課長から局長へと何度となく嘆願に行くのである。午前中に文部省の局長、午
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