図書館法の成立
――燃えひろがる火は点ぜられた――
中井正一

 あの戦争のさ中、或る兵器を造っている人が次のような面白いことをいった。
「『零戦』のような飛行機ができるためには、五十年位義務教育が行われている、文化の高い国でないと出来ない。例えば、一ミリの幾万分の一という、鋼鉄の膨張率を測定するには、その職工は、その国の文化が五十年位の、義務教育の成熟している段階にいなければできない。満州国へ工場をもっていって、そこで養成工をつくってもどうしても駄目である。文化の雰囲気が、そこまで高まっていなければ駄目だ」というのである。
 義務教育法を通過させたとき、政治家達は、そんな重大な政治を、その時行なっているとは思っていなかったであろう。独り、森有礼は、暗殺されるほどの先見の眼をもっていたにしても、しかし、日本が半世紀で、先進の数カ国を戦争の対手として立上るほどの技術力が、この法案の力のもとに育成されると想像したであろうか。一トン爆弾のエネルギーよりも、静かに流れている黙々たる上げ汐の隅田川の水の方が、はるかに大いなる力をもっているように、政治もまたそうである。眼から火が出るような声でわめき立てている政治よりも、ひそかに通過して、百年の後に目には見えないが、いつの間にか、国民をやわらかい日光でつつむような幸せに人々を抱く政治が、一番立派で、そして温かい政治である。そしてそれは、「一隅を照らす」灯のように、点々と次々に燃え広がるやさしい、そして、美しい燎原の火ともなるのである。一つの国が、他の国が、そして世界がその温かさをわけもつような大きい大きい政治が、ほんとうの政治である。
 この度の図書館法も、このしめやかではあるが、堂々と流れる大河の寂けさに似て、そのもつ政治力は、ゴーゴーの声で通っている幾多の法案よりも、遙かに遙かに巨大な法案なのである。なるほど財的保障はあるかなきかにささやかである。しかし、一本の芽は、決して、ガラスのかけらではない。それは伸びゆく生ける芽である。百年の後には、しんしんと大空を摩す大樹となる、一本の芽である。私達はこころから、この法案の通過に和やかなる拍手を、遠い遠い文化の未来に向って送るものである。
 円らな眼、紅い頬の村々の少年と少女の手に、よい本が送られて、たがいにひっつきあって喰い入るように読みあっている姿を、確実な幻として描くことができることは、深い楽しさである。この少年達から、二十年後の世界が生まれ出るのである。私達に想像もつかない二十年後が生まれるのである。二十世紀を完成する世界人が出現するのである。
 教育こそは、大いなる現実の世界改革なのである。現実の営みが二十年後の世界を変えつつあるのである。その意味で、村々に図書館が出来て、そこで、自分が読みたいと思うこころに、よい本を差し出してやることが出来ることは、容易ならざる大いなる政治の、基礎構造でもあるのである。私達は、まず法案をかかるかたちで成立させて、更に全館界の運動の力によって、より完全な法案を次から次に国会に上程して、村々の少年少女の上によい本を雨のように降らしてやらなければならない。そのためには公共図書館といわず、学校図書館といわず、打って一丸となって、よい本を書店がつくるように協力してやらなくてはならない。また図書館同志の技術の向上に応援しなければならない。
 ここでも、いつもありがちな自分だけよければよいという考え方は、何にもならず、かえって自分もまた駄目になってしまうことになるのである。宇治川の先陣のような、「抜駆けようというこころ」は、今の文化では色あせた鎧である。にもかかわらず、至るところに残っている悲しい日本の現実である。
 図書館法はこのこころに禍いされ、汚されてはならない。ひたむきな協力で、私達はこのこころを洗いすて、洗い清めなくてはならない。
 そして、この法案の周囲に、温かい文化を愛するこころを集めなければならない。一隅を照らす光のように、一つの火が他の火に呼びかけるように、次々に燃えひろがる火でなくてはならない。燈台が照らしているようなこころもちでは、それは運動ではない。一つの小さな小さな火が、一つの小さな火に燃えうつり、点々として燃えひろがる火でなくてはならない。それはやがて燃えに燃え、広がりに広がる焔となるのである。これこそは、無限に広がり無限に燃えつづけるものである。それが消えるものであるが故に、燃えていることが美しく、また大切でもあるのである。
 かかる運動は、ただ言葉だけではのりうつるものではない。図書館人はその行動でもって、黙々たる行動でもって、人々にこの法案のもつ精神を伝えなければならない。言葉の伝えるものは、それが聞え、それを読む数に止まる。行動の伝えるものは、ただ一つのものを打つのである。た
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