いた新聞社も来てはいなかった。私は数人の人に二時間の会心の演説をして、再びスケジュールの山間部に入って行った。或る時は五里の雨の道を走るように可部町に入って、ビラを見て会場を知り、メガフォンを治しながら辿りついたこともあり、二十日市では会場が無断で変っていて豪雨の申をジリジリしながら立ちつくした。本部は本部で米が切れてパンでしのいだ。男世帯なので副食物は徹頭徹尾イカの塩辛であった。かくて、すべては惨タンたる苦しみにみちていた。ところが新聞の誤植で私が八四歳となっていたのを敵は見のがさなかった。山間部で私が行かなかった郡では私を八四歳の老翁だと演説してまわっているし、またそう信じているとの情報を得たのであった。その対策として、私達は五日市の競馬場に突込まなければならないはめに落ちたのである。
 烈風の吹く日であった。
 競馬場には幾万の農民が山間部といわず、海岸部といわず方々から集まっていた。その前に四八歳である正味の私の顔を見せなければならないのである。馬がまさに集合せんとする時、私は競馬場のコースに入ったのである。そしてこの大衆に向って叫ばなくてはならなかった。馬のかわりに、人間が、
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