になって、ようやく月額一千冊を越えるにいたったので、大いに意を強くしているのである。新聞も、全新聞をのこす意気でもって、やがてマイクロフィルム、すなわち一頁を一コマの映画フィルムに収めて保存することにしている。貴重な書籍は、このマイクロフィルムに取って、拡大器で見るようにして、米国製の撮影機でその活動に入ってきているのである。
 こんなに書いていってみると、もはや本を読むということは、浄机明窓で静寂境の楽しみどころではなくして、私にとっては一つの大工場である。その工場の一技師長にしかすぎないのである。物ごとが巨大になりすぎている。しかも、その一つ一つが避けるべからざる必然性をもって、私をその部署に縛りつけ、それに対して、油の少なく引かれた機械の正確性をもって順応せざるをえないのである。この世界での寂けさは、精密機械の工場のもつ静謐である。
 しかし、私はようやく、この静寂が、決して、単に不快なものではないことを、みずから確かめつつある。個性の危機を乗り越えて、集団の部署の一員として、みずからの全性格をその中に投じ去ることのもつ命の味は、また世代の一つの戦慄である。
 自我を没し去って、
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