るが、ほとんど同一の意味に融合して用いられている。後に西鶴が「機の利いたる」と用い、頼山陽がこの両者を実に混用するのも、遠く淵源はここにあるかと云われる。
 これが、室町になって、軍事的なものから庶民的な用い方になり、『秋月物語』で初めて、「たひのようしん、きつかひはあるまし」の言葉にぶつかるのである。最早はっきりと個人の意識を反省し、その意識が自分であることを疑ってはいない。
 そして、秀吉の北政所への手紙に、「きづかひ候まじく」と出て来るのである。そしてこの庶民から上った秀吉の周辺には、実に多く用いられ、浪華文化では極めて大量に用いられてはいたものであろう。方言の記録さえ残っておれば、未だ未だ、さかのぼってその記録を辿ることが出来るであろう。
 近松の語彙にあっては、「気遣」は、その数に於て、用例二七一と云う余りにも文献的に爆発的となって来るのである。この爆発の背後に如何なる庶民の動きがあったか、和寇のような自由通商に如何なる関係があるか、ほんとうに、無限の言葉の読み違いの宝庫がありそうで、暇があれば、研究して見たいテーマである。
 又中国語としての「気」を日本語の「き」「け」が、
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