出してからは、世の中は威厳に対して、反感をもち、その臭いのするものは、「野暮」なものであり、それを脱したものが「意気」「粋」であると考えたのである。この時代が完成されて来ると、図書館なるものも、只威張っていることができなくなって来た。ベンジャミン・フランクリンが作ったところの、自分達の本をもちよって、それを読む図書館のようなものは、威張るどころか、喫茶室のようなこころもちのものを要求したにちがいない。
町々にある喫茶室のような図書館は、二十世紀の前半が要求し、やがて全世界に拡っていった図書館の考え方なのである。この喫茶室の図書館はそれが大きくなるにつれて、百貨店のような図書館、工場のような図書館にと発展していったのである。本はそこではエレベーターや、圧搾空気の管を通って、一瞬間に読者のところに飛び出してゆくといった機械構造の中に、図書館が組立てられてゆくのである。フランスの国民図書館や、アメリカの国会図書館のように、機械工場のように内部がなっているのである。注文があって二分乃至七分で、国会図書館から数十間はなれている議員の眼前に、空気管を通って飛び出して来ることとなっているのである。
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