、自己溶解、これらの墜落を彼はすべてを吸いこむところの過流(Wirbel)という。
 それは、もはや死ぬることなき死への埋没である。
 われわれは、われわれの画布をいかなる角度において存在の中に挿しいれるかを寂かに憶いみるべきである。涯《はて》もないマンネリズム、意味のない党派心、猜怨と嫉視、繰り返えさるる朋党の瞞《だま》しあい、執拗なる剽窃等々の中に画布が浸さるるかぎりにおいて、すでに白き画布は、再び腐剥することなき腐剥の中に朽ちているはずである。画布は、すでに死膚の白さに彩られているはずである。なぜならそこには、生のただ一つの徴《しる》しである生そのものへの疑問記号《フラーゲツアイヘン》を失っているからである。自分の存在へのまともな肉迫が見失われているからである。
 かくて絵画の不安をして、われわれは一朋党と異なることへの不安であらしめてはならない。かつて描かれしものと異なることへの不安であらしめてはならない。単なる取引の上の不安であらしめてはならない。
 あるべき不安は、存在に肉迫せざるの嘆きの上にあらねばならない。「存在の意味そのものへの問い」、みずからがみずからの内面にふりか
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