散策の人々のポケットの中にこの機械の見る眼、そのもつ性格は、すべての人間の上により深いより大きい性格として、すべての人の上に、その視点を落している。コルビュジエの「見ざる眼」、バラージュの「見る人間」、ヴェルトフの「キノの眼」も、またその冷たい瞳について語れるにすぎない。
そして最も大きなことは、それが社会的集団の構成した「瞳」であり、集団の内面をはかるに最もふさわしい瞳であり、あたかも自己みずからその自画像をみずからの眼を通して見まもるように、レンズの眼は集団の内面を見まもるともいえよう。そこに、天才をもその一つの要素とする巨大なる集団構成が、その精緻なる技術をもって芸術の技術[#「技術」に傍点]となし、新しき調和[#「調和」に傍点]の概念を生み出しつつあるのを知るのである。
存在が存在みずからの深さをはかるにあたって、彼の眼がその深さにしたがって、その遠さをもつこと、そこに人間の太古よりの「問い」の拡延、いわば宗教的情感がある。
存在が存在より隔てられているその隙虚《すきま》に画布がすべり入るとすれば、今や画布は深淵のごとき深さに沈みつつある。われわれの「問い」、われわれの
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