などのものを把握の対象とすることは、単に物語物絵巻などをのみ対象としている日本絵画壇にとっては、あまりにも激しい題材の加重であろう。
しかしそれが、われわれの見地のもっている一つの不安であることは、われわれの眼をそむくべからざる課題であることを忘れてはならない。
見る意味のマンネリズム、見る意味の日常性より脱すること、これがまさにあるべき不安の一つである。そしてかのレンズの瞳の見かた、かの「冷たい瞳」のわれわれの瞳への滲透、これは巨大なる見る意志の足跡であり、人間の瞳のはかり知れざる未来の徴しである。
しかもそれは、一つの新しき性格の出現を意味している。それは精緻、冷厳、鋭利、正確、一言にしていえば「胸のすくような切れた感じ」である。それはこれまでの天才の創造、個性における個別性などの上に見いだすものというには、あまりに非人間的なるファインさである。すなわち換言すれば、それは一つの新しき「見る性格」の出現である。それは、天才の個性ならびに創造の中に見いだしたものより異なれる見かたである。言い換えれば、レンズの見かたである。その瞳は日常の生活、新聞、実験室、刑事室、天文台、あるいは
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