らわしているものはないであろう。
 私は一つの童話を思い起す。強い力の巨人があった。彼は大地に身を置いているかぎり、その力を失わない。彼は時に大地から身を離すと、その力を回復するために、その大なる掌を開き、そのたなごころを、しっかりと大地に着けるという。
 私は力を回復するために、大地にじっと掌を置いている巨人の姿は美しいと思う。
 私たちは常に口を開けば「現実」といっている。しかし、この現実について、私たちが何を知っているだろう。いわゆるサマツ主義といわれるトリビアルな眼前に見ている以外のほんとうの現実の何を知っているといえるだろう。私たちの肉体のどこの部分にでも何を知っているといえるだろう。足だとか手だとか、腹だとかいってみても、腹具合以上の感じ以外に何を知っているといえるだろう。ただ受身の何か、それが動き行動していることを肉体的に感じ見まもっているだけではないか。知っているといえるほどの何かを知っているだろうか。
 足で立ち、手でものをもっている私たち自身を、自分たちは、はっきり知りつくしているだろうか。
 私たちはただ受身で立ったり歩いたりしているだけである。知っているという以
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