則的であること」をもって規準としたに対して、スペンサー、リップス、フォルケルト等の心理学派ならびにむしろ批評家というべきギュヨウ等が、「生命的(人間的、自然的)であること」をもって規準とせること、ならびにその各々の立場で過去の美学を解決せんとすることは注目すべき現象であると共に、現代の美学にとって、ことに新しき美の感覚に当面せる現代の美学にとって止揚さるべき深い課題でもなければならない。
「合法則的であること」と「生命的であること」との間には何等関連がないであろうか。この問題はスポーツの美学的考察においてその「型《フォーム》」と「感じ」あるいは、「イキ」との相関性において深い興味を引くところのものがある。
 カントにおいては、「自然の技巧」〔Technik der Natu_r〕 の概念は彼の第三批判の出現に対するかなり重要な史的要素となっている。彼において「自然の技巧」とは、主観の認識すべき現象自身の中にすでに理性的合法則性が内在することを意味し、すなわち客観の中にある自由性を意味するのである。そして、それへの端的なる反省が美的感情を構成するのである。かかる意味で「自然の技巧」は「理
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