論的」と「実践的」の中間者として、換言すれば素材の理性的合法則性への信頼と直観において重要性をもつ。この場合、私達はその「自然」の意味を「人間的身体機関構成」すなわち内なる自然にまで、その内包を延長するならば、そこにいわゆるカントが余りにもプロテスタント的に捨去りすぎたる有機感覚としての地上的喜びへの合法則的顧みができたのではないかと思わしめるものがある。
筋肉が、筋肉自らの行為をその内面の神経をもって評価し、そこに深い快適性をもって端的なる反省を為すこと、ここに「自然の技巧」への真に純粋なる直感があるというべきであろう。いずれの芸術もが、いわゆる「技巧」というところのもの、「腕」の内面の構造には、常にこの「内なる自然の技巧」すなわち筋肉操作の洗練性への深い信頼があらねばならない。そこにはじめて、訓練、練習、慣れ、老、大、熟、寂びの意味があるといえよう。あるいはむしろすべての「創作」の内面にはあらゆる外なる「自然の技巧」が、内なる「自然の技巧」を通って、そこに新しき美の現象が生ずるのである。自然美と芸術美の区別は、一度この「血によって構成せる自然の技巧」「呼吸によって構成せる自然の技
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