つの判断構造は一つの力の緊張《シュパヌング》として相干渉して他の類型の判断構造となる。換言すれば判断構造は一つの「力」の場として収斂型態を取る。この判断構造は一般に「賭」の判断構造のもの、蓋然的期待感情の内面的構造である。この力の場としての期待感、これこそ近代人のいわゆる戦慄 thrill なのである。
 力の均等したる二つのチームのシーソーゲームにおける肉薄と追撃は、まさしくこの二つの判断の力学的構造を、外的現象の上に具象化するものである。野球において同点、終回、満塁、二死、2ストライク3ボールを想像して見るがよい。天はよくかかる悪戯をする。かかる場合観衆はむしろ面を伏せて涙ぐんでしまう。そして数年間そのシーンを回想して朗らかに微笑むのである。
 ドストエフスキーの『賭博者』を読んだものは、この最も純粋なるものを見るであろう。判断のシュパヌングのもつ愉悦の中には人間の永遠なる謎への限りなき問、その「問の構造」が本質的に関連している。パスカルの賭はその意味で深い感情を存在関連の上に投げている。ユーゴーのミゼラブルの中の一節、パリの防塞の中の戦士達が全市中に響く鐘の音に耳を澄している、そ
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