かも常に永遠を背負わないと誰がいい得よう。
かかる意味で、ライプニッツがいえるように音楽が「音の数学《マテマティク》」であり、また建築が「凍れる音楽《ミュジィック》」であるならば、スポーツはまさに「燃ゆる力学《デイナミィク》」であるであろう。
そして我々はその深き叡知的の計量性の中に瞬間崩れゆく美しさを把掴するとも考え得るであろう。観る者においてもしそうであるとするならば、一々のラガー自身においては、自らが深い数の要素として、構成の内面に身をもって沈みゆくのである。その悦楽はあらゆるスポーツで一般にユニフォーミティーと呼ばるる喜びである。激しき情熱、情熱の内面の秩序、いわば情熱の数学でもある。
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しかし、かくのごとき喜びは競争性自体のもつ組織性、数学性、力学性に関連する対象的美感にしかすぎない。ここにさらに勝敗そのものに関する感情構成がある。
競争者ABにおいて「Aが勝つ」の判断と、「Bが勝つ」の判断が相互否定的であるにもかかわらず、同一主観の判断構造の中に共在する場合、論理的判断としてはウィンデルバンドのいわゆる無関心的零点としての判断型態であるにもかかわらず、その二
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