とオールとになるとき身は自ら水にアダプトして融合して一如となる。いわば水の構成的フンクチオンと身体的構成のフンクチオンが、深い関連の中に連続して無碍なるとき、その中にこそ、成長するフォーム、生身の型がある。それはコーチの百千万の警告もただ爛葛藤にして、ついに伝え得ざる底のものであり、一度その境にはまること、すなわち、働きそのもののみが告知るところのものである。
 そのことは、内的自然の技巧としての身体構成がその力学的フンクチオンにおいてあらゆる虚言 〔Lu:ge〕 を脱落した時「見てくれ」の粉飾を放擲した時である。筋肉を主観とし、筋肉を客観とする血の構成がそこにその自らのはからいをすてて、純粋なる行為の中に自らを没したる時である。そこに「技術美」の最も深き根底が横たわる。
 かかる意味でのフォームは、生身の形式である。生物におけるモルフェのごとく、成長してゆく一つの形態である。その意味のカラクテールでもある。極少の疲労により、極大の効果をあげるべく、筋肉繊維の運動的構成の目的化は、動植物のモルフェにおける合目的性でもある。それは働けるヴェゲテジーレン(植物化)である。それは浪漫派とは異
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