った意味での「目的の国の戯れ」でもある、そしてその内面的評価として、自我が、自我の内面に無限に働く自分を見出すその感情はそれは芸術的といわんよりむしろ芸術を生み出す「力の感情」ともいわるべきであろう。「技術美」の内面には「芸術美」よりももっと奥のもっと深い感情が潜まされているとも考えられよう、いわば芸術創作の感情におけるごとくもっとより力学的である。
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かく考えることで、スポーツの筋肉操作のもたらす快適の内面には、現象の原型に対する深い関連があるかのようである。そしてその原型の把握が、感覚の先導によってなさるること、いわゆる共通感覚(ゲマイジン)があらゆる存在の隅々より、潜れたる形相 Eidos を見付けること、またそれへの信頼が、スポーツの美的要素の深い前提とならなくてはならない。
我々は、すでに過去の思惟方法が形式[#「形式」に傍点]の名によって合法則的、すなわち「秩序」を、内容[#「内容」に傍点]の名によって生命的、すなわち「衝動」の概念を遺していったことを知っている。そして、それは、すでに乾いたトルソであり、しかも組合ったトルソであることを知るのである。
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