れはいわるべきものである。あるまま思い切り行為して、しかもあるべき則にはまってゆく心よさである。いわばそれは、「コツ」、「気合の冴え」ともいうべきものである。この境の会得は一回にして、しかも常にある種の香のごとく、湧然とゲームの始終にまつわるものであり、忘却の底に念々絶ゆることなく働きかくるところのものであり、そして働きかくることによって、その忘却の底に自ら成長し、太り、熟し、老いてゆくものとも考えられる。その成熟が、すなわち「練習」のもつ深い意味であり、訓練、寂び、甘味み、あるいは慣るることの意味でもあろう。
すなわち「忍苦」はもはやその放棄しかあり得ない極みにおいて、何物かに身を依する。その対象は、スポーツにおいてはフォームと呼ばるるところのものである。
よくコーチがどうしてもフォームを修正できない選手をして疲れ切らしめることがある。その疲労の中に、しかもオールを引いている選手に対して「そうだ、その気持を忘れないように」ということがある。未だ自らのフォームを自ら意識している中はそのフォームは真のものではない。いわば「岸が気にかかっている」。すでにいわゆる彼等の「天地晦冥」ただ水
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