る建築である。重力が加速度のシュパヌングである意味で、すなわち自らの動きが自らの抵抗を生み出す意味において、自我は、自我の内面に受動としての自我を発見する。そして、それと永遠なる闘争をなすべく運命づけられていることを人の多くの哲学は教える。人の一つの行為が、その内面に無限なる群の(否定の否定、さらに無限なる否定としての)行為を胎《はら》むこと、その限りない集合、そこに存在の原現象がその相を露わにする。一つの「行為」とその「忍苦」、そこに存在の一角の暴露がある。引きゆがめられた微笑をもってそれを親しく嘗めるスポーツの内奥の愉悦は、その秘かな喘《あえ》ぎ、喘ぎ、喘ぎの喜悦である。
一本一本のオールを流さないこと、誤魔化さないこと、それはむしろ、いわるべき言葉ではなくして筋肉によって味覚さるべきものである。疲れ切った腕がなおも一本一本引き切ってゆくその重き愉悦は、人生の深き諦視の底の澄透れる無心にも似る。
その無心性は、よき練習と行きとどいた技術の「冴え」をもたらすものである。オールあるいは水に身を委ねた心持、最も苦しいにもかかわらず、しかも楽に漕げる境、緊張し切った境に見出す弛緩ともそ
前へ
次へ
全20ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中井 正一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング