鄭玄の注の中に見いだされる東洋の古い美学には、プラトン、アリストテレスにない苦しい伝統の出発がある。
 この「志」と「刺」とは私たちの注目すべき、言葉である。
「古代のほほえみ」アルカイク・スマイルという言葉があるが、これと無関係ではないと思われる。ギリシャにも、エジプトにも、大同の石仏にも、中宮寺の観音にも一貫した「ほほえみ」があるのがそれである。
 私は、三百日の留置場生活の中で、顔前をうつり変わった数百人の人々の中に、この種の「ほほえみ」とギクッとするほど似たものを数度見たことがあった。そして、「刺」の中にある、ある嘆きの深さ、ほほえみの深さにふれたように思った。
 私は、詩句と詩句をつなぐものは、この「志」と「刺」であるという古い古い美学を、もう一度しっかり探求すべきであると思われる。
 私は映画の美ほど、このことと離れていない芸術はないと思っている。
 小説も絵画も、見ている視点が大体定まっている。したがって、方向と、範囲もきまってくる。ことに、小説では「……である」といった、と作者の肯定ないし否定の「コプラ」繋辞がついてくる。だから個人作者の観点が、一つ定まっていなけ
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