深く考察することによって、ルネッサンスの主知主義と、それに次いであらわれたバロックの主情主義の二つのものの契機をそこに見いださしめるがようである。宗教の暗黒の中より、自我を発見せしめしものは自然であり、科学であった。理性がそれの導火線となった。ブルーノーよりデカルトをさらにカントを見透す線はそれである。
 しかし発見されたものは、自我[#「自我」に傍点]である。新たに発見されたる発見的存在である。明暗を爆烈せしめ、激しきものの根源となり、新しき闇、神秘の基礎となる存在の内面である。ベーメよりフィヒテを貫く線がそれである。
 これらのものは、すでにフランス革命の勃発以前に発生したる契機であると同時に、すでに個人主義文化の二つの大いなる契機でもあった。いわゆるブルジョワジーとは一つのアンチノミーである。具体的歴史的過程において事実存在するがゆえに、そのアンチノミーは弁証法的とよばれもする。ブルジョワジーとは、個人の発見と個人の自己分裂[#「個人の発見と個人の自己分裂」に傍点]の二つのものを意味する。
 個人の発見[#「個人の発見」に傍点]は科学[#「科学」に傍点]が導きだしたものであり、カ
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