ころ[#「こころ」に傍点]である。存在「内」の意味は、かかる「時の会得」において初めて理解される。日本語において、「間《ま》」の意味するものがかかる構造をもつ。間が合う[#「間が合う」に傍点]、間がはずれる[#「間がはずれる」に傍点]、間が抜ける[#「間が抜ける」に傍点]、間がのびる[#「間がのびる」に傍点]などのものがそれである。それは空間的領域にも融通し、また社会的領域にも例えば仲間[#「間」に傍点]、間[#「間」に傍点]に合うとして用いるごとく相入する底のものである。
 かかる間[#「間」に傍点]の構造は、存在の実存在的理解にあたってその機[#「機」に傍点]にみずから身をひるがえして移入せる場合、その身心の脱落における深い安慰なる緊張、一言にすれば、「内」なる意味の味得である。それは、念々常懺悔ともいうべく、無限の深まりをもって味わわるべきである。一度の許容が、再びの臭味となり、三度の放下となる。かくて憶念の心常にして畢竟の味にまで味到しつくさんとする深い時間の構造でもある。
 それは、音楽のようやく技の熟するにいたって、師の「許し」「伝授」などの形式をもって伝えらる底のものであ
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