かたはリズムの解釈にとっては他の道を指し示すものである。そこではすでに時間の客観的法則化ではなくして、むしろ時間の主観的把握の姿をもってあらわれる。さきに射影[#「射影」に傍点]の概念が意味したものは、これでは邂逅[#「邂逅」に傍点]の思想をもって更えることができるであろう。さきのものが質の量化[#「質の量化」に傍点]の過程をたどっているとすれば、これは量の質化[#「量の質化」に傍点]の方向をたどるともいえよう。すなわちそれはすでに自然数的な加数ではなくして、無理数的な切断の無限[#「切断の無限」に傍点]をも連想せしめる。すなわち、それはロッツェの時間計量 Zeitmessung ではなくして、時間切断 Zeitschnitt とも解釈できるであろう。というのは、リズムに対する東方化を意味する。例えば東洋的思想における、念々[#「念々」に傍点]という言葉において示されるごとき、時の内面的無限において何物かをねらうにあたって、一刻もさきにすることもできず、一刻も遅れることもできないところの、法機の極促を意味する。それがその中にあることで、初めてあることを知ることのできる真の「内」を知るこ
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