いう懸念を私たちにもたしめるものがある。リズムがリズム自体を時間構造の根底である歴史的推移によって変換を要求せられつつあるのではないかという問い[#「問い」に傍点]は、現在の美学論にとっては深刻な不安でなければならない。
6
ここで、私は論法を変えなければならない。
機能性 Funktion の上より、あるいは、付託統体 Veiweisungsganzheit の立場より論ずるよりも、むしろ Sache としてのもの[#「もの」に傍点]そのものについて、委員会的にあるいは集団研究的に同人あるいは読者に一つの提案を提出するほかはない。一つの肯定をもってするそれは問い[#「問い」に傍点]である。しかも、一つの実験的観察の報告でもある。報告をもってせられたる問い、その形式でもってより大いなる肯定に向ってよびかけよう。
数学的ならびに存在論的解釈については、私は自分で提出して、自分で否定した。それについての否定は個人の観念的経験をもってして否定の権利を保持している。しかし、今度は、肯定をもってする問い、疑問記号なき問い、として一つのテーゼを提出する。それは歴史人としての集団性への信頼のもとに個人の部署をテストするの意味である。それは必ず新しき論理学への契機であることを自分は信じている。リズムの問題も、すでにそれが歴史的立場として考察される場合、その主張にあたってもかかる形態にあらねばならぬと私は思う。それは主張が単なる個人的観念論的帰結をもっていないことへの自覚への用心である。
7
問題はリズムである。
リズムが歴史性をもっていることのザッヘ的考察において、よき一つの例を私はここに提出しよう。さきにボートの例をとった。舵手の数学的拍子で漕いでいる場合、そのリズムは数学的解釈の範囲を越える必要はない。しかし、それがよき漕手の内面に立ち入って、一ストローク一ストロークのねらい[#「ねらい」に傍点]が安心のいく域にまでねらわれる[#「ねらわれる」に傍点]にあたって、そのねらうこころ[#「ねらうこころ」に傍点]のきわみにリズムの本質をもたらす場合、いわゆるその呼吸、そのイキはすでに数学的解釈を越えて、すでに人間学的、存在論的解釈を必要とするといわなくてはならない。しかし、それですでに、解釈のつかない場合が生まれてくる。例えば、それは八人なら八人が構成する一艇の
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