の永久的変動の正確な説明である。一貨物の価格が永久的に騰貴し得るのは、より[#「より」に傍点]多量の資本及び労働がそれを生産するに用いられねばならぬからか、または貨幣の価値が下落したからであり、これに反し、その価格が下落し得るのは、より[#「より」に傍点]少量の資本及び労働がそれを生産するに用いられるからであるか、または貨幣の価格が騰貴したからである。
 そのいずれかでなければ[#「ば」は底本では「で」]ならぬこれら二つの中《うち》の後者すなわち貨幣価値の変動から生ずる変動は、同時にすべての貨物に対し共通である。しかし前者の原因から生ずる変動は、その生産に必要とされる労働が増減した特定の貨物に限られている。穀物の自由輸入を許すことにより、または農業における改良によって、粗生生産物は下落するであろう。しかしいかなる他の貨物も、その構成に参加した粗生生産物の真実価値または生産費の下落に比例して下落する以外には、影響されないであろう。
 マルサス氏は、この原理を認めているのであるから、思うに、国内におけるすべての貨物の全貨幣価値は穀価の下落に正確に比例して下落しなければならない、と矛盾なしに主張することは出来ない。もし国内において消費される穀価が一年につき一千万の価値を有ち、そして消費される製造貨物と外国貨物が二千万の価値を有し、合計三千万をなすならば、年々の支出は、穀物が五〇%だけ、すなわち一千万から五百万に、下落したから、一千五百万減少した、と推論するのは許され得ないであろう。
 これらの製造品の構成に入込んだ粗生生産物の価値は、例えば、その全価値の二〇%を超過せず、従って製造貨物の価値の下落は、二千万から一千万へではなく、単に二千万から一千八百万へであるに過ぎないであろう。そして穀価の五〇%下落の後には、年々の支出の全額は、三千万から一千五百万へは下落せずして、三千万から二千三百万に下落するであろう(註)。
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(註)製造品はもちろんかかる比例においては下落し得ないであろう、けだし仮定された事情の下においては、異れる国々の新しい貴金属分配が起るであろうからである。吾々の低廉な貨物は穀物及び金と引換えに輸出され、ついに金の蓄積がその価値を下落せしめ、かつ貨物の貨幣価格を騰貴せしめるに至るであろう。
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 もし穀物がかくの如く低廉であってもそれ以上の穀物及び貨物は消費されない、ということが可能であると仮定すれば、これこそがその価値であろうと私は思うのである。しかし、もはや耕作されないであろう所の土地で穀物の生産に資本を用いておったすべての者は、それを製造財貨の生産に用い得るし、またこれらの製造財貨のわずか一部分が外国穀物と引換えに与えられるに過ぎないであろう――けだしその他にどう仮定しても輸入と物価下落とによって何らの利益も得られないからである――から、吾々は、右の価値の上に、かくの如くにして生産されかつ輸出されはしなかった製造財貨の全量の附加的価値を有つわけであり、従って、穀物を含む国内のすべての貨物の真実の減少は、その貨幣価値においてすら、地代の下落による地主の損失に等しいに過ぎず、他方に享楽の目的物の分量は大いに増加するであろう。
(一五一)粗生生産物の価値の下落の影響を、かくの如くは考えずに、――マルサス氏はその前の承認からすればそう考えなければならなかったはずであるが、――彼はそれをもって、貨幣価格の一〇〇%の騰貴と正確に同一のことと考え、従ってあたかもすべての貨物がその以前の価値の半分に下落するかの如くに論じているのである。
 彼は曰く、『一七九四年に始まり一八一三年に終る二十年間には、一クヲタアについての英国穀物の平均価格は、ほぼ八十三シリングであり、一八一三年に終る十年間は、九十二シリングであり、そしてこの二十年の最後の五年間には、百八シリングであった。この二十年の間に、政府は五億近くの真実資本を借入れ、それに対し、減債基金を別としてほぼ平均して、約五%を支払う契約をした。しかしもし穀物が一クヲタアにつき五十シリングに下落し、そして他の貨物がそれに比例して下落するならば、政府は実際は約五%の利子の代りに、七、八、九%の利子を、そして最後の二億に対しては一〇%の利子を、支払うであろう。
『もしそれが誰によって支払わるべきであるかを考える必要がないならば、公債所有者に対するこの異常な寛大に対しては、私はいかなる反対もなそうとはしないであろう。そしてちょっと考えれば、それは社会の勤勉な階級及び地主によってのみ、すなわちその名目所得が価値の尺度の変動と共に変化すべき人々のすべてによって、支払われ得ることが、わかるであろう。かかる社会部分の名目収入は、最後の五年間の平均と比較すれば、半分だけ減少されるであろう。そしてこの名目上低減せる所得から彼らは同一名目額の租税を支払わなければならないであろう。』(註)
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(註)『一意見の諸基礎』云々、三六頁。
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 第一に私は、全国の総所得の価値ですら、マルサス氏がここで主張している比例では減少するものではないということを、既に説明したと考える。穀物が五〇%だけ下落したから各人の総所得は価値において五〇%だけ低減する、ということにはならぬであろう(註)。彼れの純所得は実際価値において増加し得るであろう。
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(註)マルサス氏は、同書の他の部分において、穀物が三三・三分の一%変動する時には貨物は二五または二〇%変動するものと想像している。
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 第二に、思うに読者は、増加された負担は、もし有るとしても、『地主及び社会の勤労的階級』のもっぱら負担する所とはならないという、私の意見に、同意するであろう。公債所有者は、彼れの支出によって、社会の他の階級と同一の仕方で、公の負担に対するその分担額を、寄与するのである。かくて貨幣が実際より[#「より」に傍点]価値多きものとなるならば、彼はより[#「より」に傍点]大なる価値を受取っても、彼はまたより[#「より」に傍点]大なる価値を租税に支払うこととなり、従って、利子の真実価値に対する全附加は、『地主及び勤労的階級』によって支払われるというのは、真実であり得ないのである。
 しかしながら、マルサス氏の全議論は弱い基礎に樹《た》てられている。すなわちそれは、国の総所得が減少するから、従って純所得もまた同一の比例で減少しなければならぬと仮定している。必要品の真実価値の下落ごとに、労働の労賃は下落し資本の利潤は騰貴する、――換言すれば、一定の年々の価値の中《うち》、労働階級に支払われる部分が少なければ、その資金でこの階級を雇傭する者に支払われる部分は大である、――ということを証明するのが、本書の目的の一つであった。特定製造業において生産される貨物の価値は一、〇〇〇|磅《ポンド》であり、そしてそれが労働者達は八〇〇|磅《ポンド》雇傭者は二〇〇|磅《ポンド》の比で両者の間に分割されると仮定しよう。もしもこの貨物の価値が九〇〇|磅《ポンド》に下落し、そして必要品の下落の結果として一〇〇|磅《ポンド》が労働の労賃から節約されるならば、雇傭者の純所得は毫も害されず、従って彼は価格の下落の後もその以前と全く容易に同額の租税を支払い得るであろう(註)。
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(註)純生産物と総生産物とについてセイ氏は次の如く論じている。『生産された全価値は総生産物であり、この価値から生産費を控除したものが純生産物である。』第二巻、四九一頁。しからば、セイ氏によれば生産費は地代、労賃、及び利潤から成立っているから、純生産物はあり得ない。五〇八頁において彼は曰く、『生産物の価値、生産的労働の価値、生産費の価値は、物事がその自然的事態のままに委ねられている時にはいつでも、かくすべて同様な価値である。』全部を除くならば何も残らない。
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 すべての租税が支払われなければならぬのは社会の純収入からであるから、総収入と純収入とを明かに区別するのは重要である。国内のすべての貨物、すなわち一年間に市場に齎され得るすべての穀物、粗生生産物、製造貨物等が二千万の価値を有ち、そしてこの価値を手に入れんがためには一定数の人間の労働が必要であり、そしてこれらの労働者の絶対必要品は一千万の支出を必要とするものと仮定しよう。かかる社会の総収入は二千万であり、その純収入は一千万であると、私は言わなければならない。だがこの仮定からして、労働者はその労働に対して単に一千万を受取るに過ぎない、ということにはならない。彼らは、一千二百万、一千四百万、または一千五百万を受取り得よう。そしてその場合には、彼らは二百万、四百万、または五百万の純所得を得るであろう。残りは地主と資本家との間に分たれるであろう。しかし全純所得は一千万を超過しないであろう。かかる社会が租税に二百万を支払うものと仮定すれば、その純所得は八百万に減少するであろう。
 今、貨幣が十分の一だけ価値がより[#「より」に傍点]多くなると仮定すれば、すべての貨物は下落し、そして労働の価格は下落し、――けだし労働者の絶対的必要品はこれらの貨物の一部をなしているからである、――従って総所得は一千八百万にまた純所得は九百万に、減少するであろう。もし租税が同一の比例において下落し、そして二百万ではなく単に一、八〇〇、〇〇〇が徴収されるに過ぎないならば、純所得は更に、以前に八百万が有っていたと正確に同一の価値たる七、二〇〇、〇〇〇に減少し、従って社会はかかることによっては利得もせずまた損失もしないであろう。しかし貨幣の騰貴以後にも以前と同様に二百万が租税として徴収されるならば、社会は一年につき二〇〇、〇〇〇だけより[#「より」に傍点]貧しくなり、その租税は実際には九分の一だけ高められたことになるであろう。貨幣の価値を変更することによって貨物の貨幣価値を変更し、しかも租税によって同一貨幣額を徴収することは、かくて疑いもなく、社会の負担を増加することになる。
 しかし、一千万の純収入の中《うち》、地主は五百万を地代として受取り、そして生産の容易なるためまたは穀物の輸入によって、この財貨の必要労働原費が一百万だけ減少すると仮定すれば、地代は一百万だけ下落し、そして多量の貨物の価格もまた同一額だけ下落するであろうが、しかし純収入は以前と正確に同一であろう。総所得はなるほど単に一千九百万でもあり、そしてそれを手に入れんがための必要支出は九百万でもあろうが、しかし純所得は一千万であろう。さてこの減少せる総所得から二百万が租税として徴収されると仮定すれば社会は全体としてより[#「より」に傍点]富むであろうか、より[#「より」に傍点]貧しくなるであろうか? 確かにより[#「より」に傍点]富むであろう。けだし、その租税の支払以後にも、社会は、以前と同様に、八百万の純所得を有ち、それは量は増加したが価格は二〇対一九の比例で下落した貨物の購買に充てられるであろう。かくて啻に同一の課税が負担され得るのみならず、更にまたより[#「より」に傍点]大なる租税が負担され得、しかも人民大衆は便利品及び必要品の供給が改善され得るであろう。
 もし社会の純所得が、同一の貨幣課税を支払った以後にも以前と同じ大いさであり、そして土地保有者の階級が地代の下落によって一百万を失うとすれば、他の生産的階級は物価の下落にもかかわらず増加せる貨幣所得を得るに相違ない。資本家はこの際に二重に利得するであろう。彼自身及び彼れの家族によって消費される穀物や肉は価格が下落し、また彼れの僕婢や園丁やその他すべての種類の労働者の労賃もまた、下落するであろう。彼れの牛馬は費用がより[#「より」に傍点]かからなくなり、より[#「より」に傍点]少い出費で飼養されるであろう。粗生生産物がその価格の主要部分として
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