いかなる反対論もなされ得ない。
彼が説いているもう一つの不都合は、租税の前払の結果、この前払に対する利潤もまた消費者に課せられなければならず、そしてこの附加的租税は国庫が何らの利益をも得ない所のものであるということである。
この後の反対論においては私はセイ氏に同意することは出来ない。国家は直ちに一、〇〇〇|磅《ポンド》を徴収せんと欲し、そしてそれを製造業者に賦課したが、彼は十二箇月の間はそれをその完成貨物の消費者に転嫁し得ない、と吾々は仮定しよう。かかる十二箇月の遅延の結果として、彼は啻にこの租税額たる一、〇〇〇|磅《ポンド》のみならず、更におそらく一、〇〇〇|磅《ポンド》――一〇〇|磅《ポンド》は前払された一、〇〇〇|磅《ポンド》に対する利子である――の附加的価格を、その貨物に課せざるを得ない。しかし、消費者の支払う一〇〇|磅《ポンド》というこの附加額に対する代償として、消費者は真実の利益を得るが、けだし政府が直ちに要求しまた結局彼が支払わなければならぬ租税の彼れの支払が、一年間延期されたことになるからである。従って一、〇〇〇|磅《ポンド》を必要とした製造業者にそれを一〇%またはその他の協定せらるべき利率で貸付ける機会が、彼に与えられたのである。金利が一〇%の時に、一年の終りに支払わるべき一千百|磅《ポンド》は、直ちに支払わるべき一、〇〇〇|磅《ポンド》以上の価値は有たない。もしも政府がその租税の収納をその貨物の製造が完了するまで一年間延期するならば、政府はおそらく利附大蔵省証券を発行せざるを得ないであろうが、それは、消費者が価格において節約するだけのものを――その製造業者が租税の結果として彼自身の真実利得に加えもし得べかりし価格部分を除く――利子として支払うであろう。もしこの大蔵省証券の利子として政府が五%を支払ったとすれば、五〇|磅《ポンド》の租税がそれを発行しないことによって節約される。もし製造業者が附加的資本を五%で借入れ、そして消費者に一〇%を課するならば、彼もまたその前払に対し、その日常利潤以上に五%を利得するであろう、従って製造業者も政府も共に消費者が支払う額を正確に利得しまたは節約することになるのである。
(一三五)シモンド氏は、その名著『商業上の富について[#「商業上の富について」に傍点]』において、セイ氏と同一の論法を辿って、一〇%なる適度の率の利潤を得ている一製造業者が本来的に支払う四、〇〇〇フランの租税は、もしこの製造貨物が単に五人の異る人々の手を経るのみであるならば、消費者にとり六、七三四フランに高められるであろうと計算した。この計算は次の仮定に基くものである。すなわち租税を最初に前払した者は、次の製造業者から四、四〇〇フランを受取り、そして彼はまたも次の者から四、八四〇フランを受取り、かくて各段階においてその価値に対する一〇%がそれに附加されるということである。これは、この租税の価値が、複利で、一年につき一〇%の率でではなくて、その進行の各段階において一〇%の絶対率で、蓄積されつつあることを、仮定するものである。ドゥ・シモンド氏のこの意見は、もしこの租税の最初の前払と課税貨物の消費者への売却との間に五箇年が経過するのであるならば、正しいであろう。しかしもし単に一年が経過するに過ぎないならば、二、七三四フランではなく四〇〇フランの報償が、この租税の前払に寄与したすべての者に、――その貨物が五人の製造業者の手を経ようと――五十人の手を経ようと――一年につき一〇%の率における利潤を与えるであろう。
[#改ページ]
第三十章 需要及び供給の価格に及ぼす影響について
(一三六)貨物の価格を終局的に左右しなければならぬものは生産費であり、そして、しばしば言われ来った如くに、供給と需要との間の比例ではない。すなわち供給と需要との比例は、もちろん一時の間、需要の増減に従って貨物の供給が増減するまでは、その市場価格に影響を及ぼすかもしれぬが、しかしこの結果はただ短期間のものに過ぎないであろう。
帽子の生産費を減ずるならば、その価格は、需要が二倍、三倍、または四倍となっても、結局その新しい自然価格にまで下落するであろう。生命を保持するための食物や衣服の自然価格を減少することによって人々の生計費を減少するならば、労賃は労働者に対する需要が極めて著しく増加しても、結局下落するであろう。
貨物の価格は、もっぱら、供給の需要に対する比例、に依存するという意見は、経済学においてほとんど一つの公理となるに至り、そして斯学における多くの誤謬の根源となって来ている。ビウキャナン氏をして、労賃は食糧品の価格の騰落によっては影響されず、もっぱら労働の需要と供給とによって影響されると主張せしめ、また労働の労賃に対する租税は労賃を騰貴せしめないが、けだしそれは労働者に対する需要の供給に対する比例を変更しないからである、と主張せしめたものは、この意見である。
(一三七)一貨物に対する需要は、その附加的分量が購買されまたは消費されないならば、増加すると言われ得ないが、しかもかかる事情の下において、その貨幣価値は騰貴するかもしれない。かくて、もし貨幣の価値が下落するならば、あらゆる貨物の価格は騰貴するであろうが、けだし、競争者達の各々は、その購買に当り以前よりもより[#「より」に傍点]多くの貨幣を喜んで支出するであろうからである。しかしその価格が一〇%または二〇%騰貴しても、もし以前よりもより[#「より」に傍点]多くが購買されないならば、おそらくは、その貨物の価格の変動がそれに対する需要の増加によって齎されたものであるとは、言い得ないであろう。その自然価格、その貨幣生産費は、真実に、変動した貨幣の価値によって変動したのであろう。需要には何らの増加もなくして、その貨物の価格は当然にその新しい価値に調整されるであろう。
セイ氏は曰く、『諸物はそれまでは下落し得るが、それ以下になれば生産が全然止るかまたは減少されるからそれ以下には下落し得ない最低価格を、生産費が決定することを、吾々は知った。』第二巻、二六頁。
彼は後に曰く、鉱山の発見以来金に対する需要は供給よりも更により[#「より」に傍点]大なる比例で増加したので、『財貨で測ったその価格は、十対一の比例では下落せずして、単に四対一の比例で下落したに過ぎなかった。』換言すれば、その自然価値の下落に比例しては下落せずして、供給が需要に超過したのに比例して下落した(註)。――『あらゆる貨物の価値は常に、需要に正比例し供給に反比例して騰貴する[#「あらゆる貨物の価値は常に、需要に正比例し供給に反比例して騰貴する」に傍点]。』
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(註)もし現実に存在すると同じ金及び銀の分量がありながら、これらの金属がただ什器や装飾品の製造にのみ用いられるならば、それは豊富となり、そして現在よりも極めてより[#「より」に傍点]低廉になるであろう。換言すれば、それを何らかの他種の財貨と交換するに当って、吾々は今に比例してそのより[#「より」に傍点]大なる分量を与えざるを得ないであろう。しかしこれらの金属の多量が貨幣として用いられており、しかもこの部分はそれ以外の目的には用いられていないから、家具や玉細工に用いるために残るものはより[#「より」に傍点]少い。さてこの稀少性がこれらの物の価値を増加するのである。――セイ、第二巻、三一六頁。なお七八頁の註を参照。
[#ここで字下げ終わり]
同一の意見はロオダアデイル伯によっても述べられている。
『あらゆる価値物が蒙る所の価値の変動については、もし吾々がしばらくの間、ある物が、あらゆる事情の下において等しい価値を常に有つように、内在的、固定的の価値を有つと仮定し得るならば、かかる固定的標準によって確かめられた所のすべての物の価値の度は、その物の分量と[#「その物の分量と」に傍点]それに対する需要との間の比例に応じて変動するであろう、そしてあらゆる貨物は、もちろん、四つの異る事情によりその変動を蒙るであろう。
[#ここから1字下げ]
一、『その分量の減少によってそれはその価値の増加を蒙るであろう。
二、『その分量の増加によってその価値の減少を蒙るであろう。
三、『需要の増加という事情によってそれはその価値の増大を蒙るであろう。
四、『需要の減少によってその価値は減少するであろう。
[#ここで字下げ終わり]
『しかしながら、いかなる貨物も、他の貨物の価値の尺度たる資格を有つように、固定的、内在的の価値を有ち得るものでないことは、明かに分るであろうから、人類は、価値の実際的尺度として、価値変動のただ四つの原因たる[#「価値変動のただ四つの原因たる」に傍点]これらの四つの変動源泉のいずれにも最も蒙りそうもないものを、選択させられるのである。
『従って普通の言葉で吾々がある貨物の価値[#「価値」に傍点]を言い表わす時には、八つ異る事情の結果として、それはある時期には他の時期のそれと変化するであろう。
[#ここから1字下げ]
一、『吾々が価値を言い表わそうと思う貨物に関して、上述の四つの事情によって。
二、『吾々が価値の尺度として採用した貨物に関して、同じ四つの事情によって。』(註)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから2字下げ]
(註)『公共の富の性質及び起源に関する一研究』、一三頁。
[#ここで字下げ終わり]
(一三八)これは独占貨物については真実であり、そして実際他のすべての貨物の市場価格についても限られた時期の間は真実である。もし帽子に対する需要が二倍となるならば、価格は直ちに騰貴するであろうが、しかし、帽子の生産費またはその自然価格が騰貴しない限り、その騰貴は単に一時的に過ぎないであろう。農業学におけるある大発見によりパンの自然価格が五〇%下落したとしても、需要は大いに増加しないであろうが、けだし何人も彼れの欲望を満足せしめるより以上を欲求しないであろうからである。そして需要が増加しないであろうから供給もまた増加しないであろう。けだし貨物は単にそれが生産され得るから供給されるのではなく、それに対する需要があるから生産されるのであるからである。かくてここに吾々は、供給と需要とがほとんど変化せず、またはそれが増加したとしても同じ比例で増加した場合を有つわけであるが、しかも貨幣の価値が引続き不変である時にもまた、パンの価格は五〇%下落することになるであろう。
個人かまたは会社かによって独占されている貨物は、ロオダアデイル卿が述べている法則に応じて変動する。すなわちそれは売手がその分量を増加するに比例して下落し、そして買手のこれを購買せんとする熱望に比例して騰貴する。その価格はその自然価値と何らの必然的関聯も有たない。しかし競争の対象となりかつその分量がいかなる程度にも増加され得る貨物の価格は、結局、需要と供給との状態ではなくて、その生産費の増減に、依存するであろう。
[#改ページ]
第三十一章 機械について(編者註)
[#ここから2字下げ]
(編者註)本章は第一版にも第二版にも現われていない。
[#ここで字下げ終わり]
(一三九)本章において私は、機械が社会の異る階級の利益に及ぼす影響に関する研究に入るが、それは極めて重要な問題であり、そして何らかの確実なまたは満足な結果に導くが如くに研究されたことのないものであるように思われる問題である。この問題に関する私の意見を述べるのは私の義務となっていることより[#「より」に傍点]多いものであるが、けだしそれは、より[#「より」に傍点]以上考慮してみると、著しい変化を蒙っているからである。そして私は、機械に関して、私にとり撤囘しなければならぬ何事かを発表したとは思わぬが、しかも私は、現在誤謬であると考えている学説を、他の方法で支持したことがある。従って私の現在の見解を、それを抱懐《ほうかい》する私の理由と共に、検討に委ねるのが、私の義務となっているのである
前へ
次へ
全70ページ中62ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
リカードウ デイヴィッド の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング